盛岡タイムス Web News 2012年 6月 6日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉284 伊藤幸子 一茶の日記

 名月をとつてくれろと泣く子かな
                   小林一茶

 5月21日早朝、各地で金環日食が観測された。私は観測グラスもなく肉眼で空を仰いでいたがふと、一茶の名句を思い出し「そうか、水面なら」とひらめいた。早速台所のボウルに水を張り、出窓に置いて太陽を映してみた。おお、刻々と欠けゆく太陽が水面に輝く。7時、7時半、鳥たちが空を舞いざわざわと鳴く。水面の太陽はくっきりと輪郭を描き、出窓の向こうの朴の葉には欠けた日輪が映っていた。

  まさに、負うた子に教えられた体験。私は思いがけないこの天体ショーの感動のさめやらぬうち、一茶の本を取り出した。田辺聖子さんの「ひねくれ一茶」平成4年刊の初版本、今まで何度読んだかしれない。20年もの間に読む側も年を取り、一茶の文学に対する熱い情熱や、信濃は柏原村の生家におちつくまでの肉親との相剋など感慨深いものがある。私はいつも、読んだときのメモをはさんでいるが、中年のころは、ずっと生家を離れていた一茶が今さら弟の継いでいる家土地を半分よこせと言い立てる無謀さに辟易(へきえき)したこともあった。

  65歳で没した一茶の年代の今、読み返すとまた別な角度から老いの哀しみや、ひがみの要因のようなものも見えてくる。一茶といえばすぐ「われと来て遊べや親のない雀」や「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」などあったかい童心の句が浮かぶが自画像は複雑だ。

  文化11年、諸国俳諧行脚(あんぎゃ)をしていた一茶も「これがまあ終の栖(すみか)か雪五尺」と詠み、故郷柏原に帰った。ただちに嫁をもらわねばなんねえと「五十聟(むこ)天窓(あたま)をかくす扇かな」と詠む。一茶52歳、花嫁お菊は27歳。日灼けして健康そうな、きゃんきゃら(おてんば)嫁ごはあれほどいがみ合った義母や弟にも受け入れられた。

  「楽しみ極まりて愁ひ起こるはうき世のならひなれど」と、一茶の日記はその後の悲運を綴る。文化13年一茶54歳、長男千太郎生後28日で没。57歳で長女おさと1歳で没。61歳には妻も病死。なんと結婚後10年の間に、子を4人と妻までも喪ってしまった。

  それでも64歳の一茶は3度目の妻、やをを迎える。今度こそ幸せな一生を再生したかった。しかし文政10年夏、柏原村大火で83戸を焼失。一茶の所も土蔵のみ残りそこで暮らすが、11月19日、3度目の中風発作にて死去。65歳。「露の世は露の世ながらさりながら」一茶没後、妻やをは一子を得て係累を伝えた。一代記のはかなさ、名月をとってやりたい親心が偲ばれる。
(八幡平市、歌人)

 


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