盛岡タイムス Web News 2012年 6月 20日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉286 伊藤幸子 草ばうばう

 自動車をロックしてふつと思ひたり忘却といふ閉ぢ方のこと
                           岡崎康行

  平成24年4月25日発行の新潟県在住歌人の第四歌集「草ばうばう」を贈られた。昭和15年生まれの元高校教諭、近年は毎年のように歌集や評論集を出され充実の仕事ぶりが伺える。現代社会では、ことにも地方ほど自動車の必要性が高い。本歌集にも実感を伴った車の歌が多く見うけられる。

  「信号を待ちつつうしろのトラックのエンジン音に押されてゐたり」「山道を曲がりきるときわが車カーブミラーにによろつとふとる」「ころがりし果ての形か道の辺にホイールキャップひとつ伏したり」等々、どれも運転者の体験をふまえて共感できる。走行時のリズムに、自分では乗っているつもりなのに、不意にうしろから不機嫌そうなトラックのエアブレーキ音が響くと不機嫌が伝染してしまう。初心者のころはふためいてアクセルを踏んだものだが今はミラーを見返す余裕が生まれた。

  そして「ニョロッと太る」の画像に笑った。本当にそう、山岳道路のきついカーブだと、おもむろに近付くミラーにはドライバーにそっくりな肥満車体があえいでいる。また以前はよくホイールキャップが落ちていたりした。

  さて、車を降りて自動キイでピッとロック。ああ、この感じを作者は「忘却という閉じ方」と見る。パソコンでは前後の関連などおかまいなしに不要事項は「ごみ箱」に放り込む。忘却、消去、無機質な感情の流れは行き場を失ってさまよう。「探しゐるかうもりがさは無くしたる記憶がなくて本当にない」それは「巻7を欠きたるままにチェホフ全集すきまなく書架に並びてゐたり」の喪失感にもつながるか。傘も記憶も無く、書架には入るべき一巻のすみかさえ無い。

  そんなときは「妻や子のこころの中へ転居するそんなのいやだウォーキングする」と、さりげない解決法。体を動かし汗をかけばみるみる活性化してよみがえる細胞。そして「開け閉めの割と自由な容れものが六十八歳のわたくしである」と見きわめる。それはまた「われの名が呼ばれてゆつくりと立ちあがる名にわたくしを当て嵌(は)むるべく」なんと、多様、豊潤、自在な容れ物であることか。

  「花散りて地中にもぐる堅香子のもぐりしあとの草のばうばう」集名になった一首。万葉の昔からいちはやく春をことほぐ紫のカタクリ。花すみし春の「草ばうばう」、古語のひびきにそこはかとなく地根の連鎖が想像される。
(八幡平市、歌人)


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