盛岡タイムス Web News 2012年 6月 21日 (木)

       

■ 〈岩手からカナダへの移住物語〉8 菊池孝育 杉村濬の赫々たる経歴3

 「同二十八年十月非職ヲ命ス」。

  閔妃殺害事件に連座したことによる処分であった。今日の休職に当たる。地位はそのままで職務だけを免じられたのである。

  事件の首謀者とみられた三浦梧楼は免職となったが、当時の日本国民から英雄・豪傑のようにもてはやされたと言われる。事件立案の中心人物とされた杉村濬も、喝采を浴びた一人であった。杉村は事件をふり返って、

  「事件は親露派の閔妃を排除するために、朝鮮訓練隊を利用して起こしたクーデーター」(回顧録)であったと、断言している。さらに裁判では「前年七月の王宮占領の挙を政府が認めている以上、前例にならった後任公使による今回の挙も責めることはできない」という趣旨の証言をした。日本の国益を守るために、政府の朝鮮政策に沿った挙であったと正当性を主張したのである。

  明治29年1月20日、広島地方裁判所予審で証拠不十分により免訴となった。

  カナダ移住問題から離れて閔妃殺害事件に多くの行数を割いたのは、朝鮮問題スペシャリストとしての杉村が、再び外国への日本人移住に力を注ぐターニングポイントがこの事件であったからである。

  「同二十九年四月依願免本官」。

  「同年同月任臺灣總督府民政局事務官兼同局參事官、叙高等官三等」。外務省は依願免職となったが、実際は高等官三等に昇格している。さらに、

  「 同三十年十一月任臺灣總督府事務官兼同府參事官、叙高等官二等」となって局付から府付へ昇任し、高等官二等に叙せられた。同31年3月には後藤新平が民政局長官に就任して杉村はその代理を命じられている。

  台湾では、初代総督府長官樺山質紀から桂太郎、乃木希典、児玉源太郎まで4代に仕え、民政局では水野遵、曽根静夫、後藤新平を補佐したのである。この間、杉村は朝鮮での経験を生かし、植民地経営について硬軟併用策を建言した。それが、後藤新平の特別統治主義と合致して、現地民の生活、文化を尊重しながら、徐々に同化を進める、アメとムチ政策の植民地経営として実現するのである。

  杉村はこのころ、内地からの植民者を迎えるために、治安の安定と移住適地の確保に懸命に努力したとされる。

  「同三十一年九月依願免並兼官」。この行は台湾総督府を免じられ、政府官僚に再登用されたことを意味するようだ。

  「同三十二年六月任外務省通商局長、叙高等官二等」。またまた外務省に復帰して、移民および通商問題を管轄する部署の責任者となった。

  「同三十五年八月叙縦四位」

  「同三十七年十一月任辨理公使、叙高等官二等、ブラジル國駐 被仰付」

  杉村は家族を引き連れて、翌年四月に赴任した。そして次々と長文の報告書を本省に送った。その主なものは、

  「ブラジル移民事情附貿易状況」、「南米ブラジル国ミナス・ジェライス州視察復命書」、「同サンパウロ州移民状況視察復命書」などである。



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