盛岡タイムス Web News 2012年 6月 28日 (木)

       

■ 〈岩手からのカナダ移住物語〉9 菊池孝育 杉村濬の赫々たる経歴4

 前任の駐ブラジル公使大越成徳は、ブラジルは日本人移民に不適の国である、との報告書を本省に送達していたが、杉村は自身で同国内を踏破して、前述の通り詳細な報告書をまとめ、大越前公使と反対の意見を建言した。その中で、サンパウロ州のような土地は日本人移民にとって「実に天与の楽郷福土にして、ただ移民のみならず、鉄道付近の地価極めて廉価なるが故に資本家、企業家にも好適の所」との一節は、日本で大きな反響を呼び、多くのブラジル移民輩出のきっかけとなったのである。

  日本からの移民誘入に端緒をつけたばかりの同39年5月、杉村は急性脳出血で倒れ、薬石の効なく、同19日不帰の客となった。

  「同三十九年四月叙勳二等綬瑞寶章」。綬章に関して次のような記録がある。

  「辨理公使兼總領事杉村濬叙勲ノ儀別紙ノ通上奏致シ候間可然御取計有之節此段申達候趣以上」との前書きに続いて、外務大臣子爵林薫による綬章に関する「上奏案」となっている。同案の前半部は、杉村が外務省に出仕以来の経歴を列挙しているだけであるが、後半は「殊ニ明治廿七八年日清韓交渉事件ノ起ルヤ重要ナル機務ニ膺リテ日夜精励懈タラス又通商局長ノ任ニ在ルヤ孜々トシテ克ク○○ヲ竭クシ尋テ最歳四月遠隔ナル現任所伯剌西爾國ニ着任以来熱帯地ニ在テ内外交渉ノ要務ヲ執リ勉励致居候処病気ニ罹リ目下危篤ノ旨電報有之候間此際前記功労ヲ御表彰被遊特ニ断事ノ通叙勲被仰出候様仕節此段謹テ奏ス/明治丗九年五月廿一日/子爵林薫」との内容になっており、叙勲の裏付けとなる功績を記している。

  「日清韓交渉事件」の行は日清戦争前後の朝鮮国に在って複雑な外交交渉を処理した功績を指すと考えられる。

  「○○」はコピーの不手際で読み取れない部分である。

  「最歳」は昨歳の意味に使われたと考えられる。

  「内外交渉ノ要務ヲ執リ勉励致居候処」は日本人移民の誘入に関して、ブラジル国およびサンパウロ州当局との折衝中であったことを示唆している。

  問題は上奏の日付けである。5月21日になっているが、その時は既に杉村は死亡している。日本とブラジルとの時差の関係で、まだ本省は彼の他界を知らなかったようである。叙勲も彼の生存中に授与しようと努力した様子が、上奏文にうかがわれる。実際は、叙勲の手続き中に彼が死亡したが、4月にさかのぼって生存者叙勲扱いにしたのである。

  「同三十九年五月任地ニテ薨去ス」 

  ブラジルには僅か一年余りの在任であったが、日本人移民の導入という、同国の日本人移民には忘れられない大きな功績を残した。

  カナダでは、初のバンクーバー領事として、領事館業務を定着させ、日加貿易の端緒を切り開き、日本人移住の促進に努めた。ことにも、在留邦人の実態を調査した上で、外国への移民のあるべき姿、政府の執るべき移民政策について本省へ報告書をまとめたことは、その後の「移民保護規則」、「移民保護法」の制定に道を開いたのである。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします