盛岡タイムス Web News 2012年 6月 29日 (金)

       

■ 〈大連通信〉22 南部駒蔵 大連のバス

 バスに乗った。バスに乗る時は、前にある乗り口で金を払って後部にある出口から降りる。料金はとても安く、どこまで行っても1元(約12円)で、中には一部2元のバスもある。おつりは出ないから1元のコインか、紙幣を用意して乗る。金をボックスに入れるが、運転手はよく見ているようでもない。小額だからだろうか。それとも信頼しているからだろうか。私にはそう見えたが、他の留学生によると、「いや、ちゃんと見ているよ。注意された人もいる」と言う。

  バスは混んでいることが多い。奥に入って、横に渡された握り棒につかまって体を支えようとするが、高くて届かない。つま先立ちしてやっと届く高さで、すぐ疲れる。そして思う。「俺は悔しいことに身長162aの小男だ。しかし、一般に背の高い中国人にだって背の低い人はいる。子どもたちだってバスに乗る。握り棒の位置をこんなに高くして利用者からクレームがつかないのか」と。

  また、バスの車内にテレビがかかっているのも、不思議だ。しかし、これは日本の乗用車でテレビをつけている人もいるから、もう不思議などと言ってはいられない。現代人はテレビなしで生活できないのだ。

  信じがたいのは中国ではバスの時刻表がないことである。時刻表がないということは、いつ来るか分からないバスを待つということである。幸いなことに大連市内のようにバスの本数が多く、次々来るなら良い。しかし、昨年、金州の郊外に行った時、李さんとバスを待った。そこでもバス停に時刻表はなかった。李さんやK君に聞くと時刻表がないのが一般的らしい。

  いつ来るか分からないバスを待つ。さすが大国、悠長だ、せっかちな日本人と違うなあと驚きもし、感心もした。中国から見れば、日本人は時間に縛られているということになるかもしれない。中国の飛行機は乗客がそろうと時刻表に記された時刻にならなくても出発するという話を思い出した。生真面目に時刻表にしたがって運行する日本。時刻にとらわれず、出発する中国。時刻表がなければ「早い」ということも「遅れる」ということもない。しかし、田舎に行って、いつ来るか分からないバスを待つ気には到底なれない。

  中国人はバスの中でも大声で、平気で携帯電話を使っている。うるさくて周囲の人に迷惑だとか、プライバシーを守ろうとか、そういう気持ちがないらしい。列車でも同じで、バスも列車も車内はにぎやかで、うるさい。日本人が静けさを愛するのに対して、中国人はにぎやかさを好むようだ。しかし、私はそのわい雑さが嫌いでない。

  バス停に時刻表なくただ待てり バスは本当に来るのだろうか?

  【補足】上記の文章を読んだ家庭教師の中国人曰く「バスの運転手はちゃんと乗客がお金を払うかどうか、ちゃんと見ていて注意を受けたことがある」「バスの時刻表がなくても、3分おき、5分おきなど、頻繁に出ているので時刻表の必要がない。また営業所には始発を記した時刻表がある」と。人口の多い大連では確かにバスの本数も多く、時刻表など作る必要はないのかもしれない。
  (元岩手医大教授)

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