盛岡タイムス Web News 2012年 6月 30日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉269 岡澤敏男 賢治の隠された思想

 ■賢治の隠された思想
  昭和2年3月8日、羅須地人協会を初めて訪れた松田甚次郎に、村の名望農家である父の農地を継がずに「小作人たれ」と諭した賢治にはどんな思案があったのか。その日から2週間ほど過ぎて書いた詩に賢治が抱懐する思案の糸口がほの見えます。それは「詩ノート」所収の一〇一六〔黒つちからたつ〕(一九二七・三・二六)という次の作品です。

 黒つちからたつ
  あたたかな春の湯気が
  うす陽と雨とを縫ってのぼる
     …西にはひかる
      白い天のひと
      きれもあれば
      たくましい雪
      の斜面もあら
      はれる…
  きみたちがみんな労農党になってから
  それからおれのほんとの仕事がはじまるのだ
     …ところどころ
      みどりいろの
      氈をつくるの
      は
      春のすゞめの
      てっぽうだ
  地雪と黒くながれる雪
             (右線は筆者)
  糸口は右線をほどこした行に隠されている。この詩にある「労農党」とは大正15年12月9日、大山郁夫を委員長に結成された日本労農党のことで、県内各地にその支部が結成され稗和(稗貫和賀)支部もまた泉国三郎を支部長に結成された。名須川溢男氏は「賢治と労農党」(学燈社『国文学』50年4月号)のなかで大正15年12月1日(校本『宮沢賢治全集』第14巻・年譜でも同じ)花巻町花巻座において結成したと記述している。本部より早く支部を結成したとする時期には違和感があるけれども、それはそれとして、名須川氏がその当時の関係者(高橋慶吾、照井克二、小館長右衛門、伊藤秀治、煤孫利吉等)から採録した話によると、賢治は親戚の長屋を稗和支部の事務所に斡旋し、事務所の机や椅子、謄写版一式などを貸与したこと、支部の運営費や選挙活動へのカンパなど経済的な支援も行ったことなど、その当時の賢治の革新思想の所在について証言するものです。小館氏は「はげしい弾圧下のことであり、記録もできないことだし、他に都合のわるい事情」もあり「おもてにだされなかった」が、賢治は労農党稗和支部にとって実質的なシンパサイザーとしてありがたかったと述懐しているのです。

  ちょうどその頃、昭和2年に『盛岡中学校校友会雑誌』へ寄稿を求められ、「生徒諸君に寄せる」と題する未完成の詩稿の断章が下書のまま残っており、その第七の断章に抱懐する思想の一端が吐露されているのです。

 新たな詩人よ
  嵐から雲から光から
  新たな透明なエネルギ
  ーを得て
  人よ地球によるべき形
  を暗示せよ

 新たな時代のマルクス
  よ
  これらの盲目な衝動か
  ら動く世界を
  素晴らしく美しい構成
  にかへよ
  そして、「諸君はこの颯爽たる/諸君の未来圏から吹いて来る/透明な清潔な風を感じないのか」と生徒たちへ呼び掛けた一連をもって締めくくっています。

■「生徒諸君に寄せる」の断章から
〔断章五〕
サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやって来る
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従かることを欲するか(以下略)
〔断章六〕
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て

新しい時代のダーイウヰンよ
更に東洋風静寂のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至って
更にも透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ(以下略)



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします