盛岡タイムス Web News 2012年 7月 4日 (水)

       

■ 〈日々つれづれ〉128 三浦勲夫 HOZホール

 九戸村の公民館を「HOZホール」という。「HOZ」(ホズ)の意味は何か?古い方言で「ホズネ」がある。古語の「程なし」ということらしい。「程(高さ・広さ・距離・時間)がない、十分な標準に至らない」と言うことらしい。と言うことは「ホズ(程)」は「適度、標準、ゆとり」と言うことだろうか。

  ここまで調べて直接、村役場に問い合わせた。すると、九戸村では「ほずがある」といえば「物事を忘れない、理解している」という意味で、「ほずがない」はその逆の意味になることが分かった。「HOZホール」は「理解力がある、物事が分かっている」となる。

  方言を利用した建物名には、二戸市に「なにゃーと」、盛岡市に「プラザおでって」、花巻市に「なはんプラザ」などがある。宮古市には「なあど」があったが津波で姿を消した。方言がどんどん姿を消していく。と言うより、かなり消えた。方言の使い手も絶えていく。その中で建物の名前に方言が発掘される。理由は方言が持つ力だろう。愛着、感性、郷土の個性、郷土の歴史・伝統ということだろう。

  しかしそれだけでは「内向き」になる危険性がある。郷土の人間にしか通用しない。より広い見方をすれば、土地の方言には他国(よそ)の者にもその意味に対する「好奇心」をかき立たせる魅力がある。分かって改めてその土地の人情味あふれる、客人への心遣いに触れる。そして姿がかすんだ方言もよみがえる。

  建物は「箱もの」であり「ハード」物件である。同時に建物は人が利用する。利用の様態が「ソフト」となる。人の流れが広い範囲で行われれば、方言の持つ意味や感覚的ニュアンスが薄れることだ。基盤にあった土着性が風化し、共通性、普遍性を志向する意味不明あるいは意味不問の「符牒」となる。しかしその土着単語も生き残る。

  「HOZホール」も「保津ホール」のように聞けば、どこかの由緒ある地名かと思わせそうだ。盛岡の駅地下デパートの「フェザン」は岩手の県鳥である「キジ」の英語「フェザント」をもじった。しかし、キジとは無関係に「フェザン」が独り歩きしているのが実情だ。「アイーナ」も「ああ、いいな」からできたという。ここまでくるとどんどん同様事例が顔を出す。「ほっとゆだ」、「ゆぴあす」、「湯ーとぴあ」、そういえば古くは宮沢賢治の「イーハトーブ」もある。岩手の古い表記「いはて」がその根底にある。

  そこには日本人の一つの心情がのぞき見える。日本は島国だが、日本人は海外世界とつながりを持とうとする気性がある。日本語や方言を外国語と結びつける。土着性と内向性が交流性や多様性を志向するのだ。それはそれで悪くはないが、問題もある。本来の人間交流が低調であったり、あるいは命名によって交流の代償行為が行われたりすると、地元の人たちの「ひとりよがり」となる。要は伝統文化を尊重しつつ、外来文化も取り入れる、その気性を継承、発展させなければならない。名は体を表す。「HOZホール」では7月6日にスコットランドの孤島、セント・キルダ島紹介の催しがある。貴重生物種を保護するため、強制疎開させられた島民の心情の話である。映画製作者が福島大、岩手大で講演した後、九戸村を訪れる。
  (岩手大学名誉教授・元放送大学客員教授)


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