盛岡タイムス Web News 2012年 7月 11日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉289「畑中良輔先生」伊藤幸子

 こともなげに中村紘子が卓の上にショパンの左手といふを置きたり
                                       辻下淑子
  角川現代短歌集成より。

  5月24日、偉大なる音楽家、畑中良輔先生が90歳で逝去された。昨年6月には八幡平温泉郷の藤田晴子記念館に3日間ご滞在でお元気でいらしたことを白井館長さんより伺っていた。その折、白井館長さんより頂戴した畑中良輔著「音楽少年誕生物語」「音楽青年誕生物語」「オペラ歌手奮闘物語」の三部作が実におもしろい。音楽界では昨年9月には、元藤原歌劇団総監督テノール歌手の五十嵐喜芳氏を喪った。私には全く別世界のトップスターの方々と思っていたが、藤田記念館に遊びに行くとたちまち往時の舞台裏のお話が聞ける。事実なるがゆえに小説よりもはるかにおもしろく、失礼とは思いつつメモを取る手に力が入る。

  「畑中さんは、ブルちゃんと呼ばれててね」と白井館長さん。「エッ、太っていらしたんですか?」「いや、すぐかみつくからサ」と笑われる。大正11年北九州市門司生まれの先生は琴、三絃の師匠の母上、父上の尺八姉の箏という音楽環境のもとで成育。中学四年の志望校提出の時「東京音楽学校」と書いたこと、その後のまさに青雲の志を遂げんと邁進されるさまが著書の端々にあふれている。

  2000年1月号から「音楽の友」誌連載の音楽物語は、昭和15年4月東京音楽学校入学を果たし、戦時色の濃くなってゆくさなかでの軍事教練のこと、そのころの東京での物価や町の様子が実体験として読者をひきつける。

  「入学したら〈冬の旅〉を、などという望みは教練合宿で息つく間もなかった。軽井沢での一週間の辛い軍事教練も何とか終り、全員が校舎の玄関前に整列、解散。一斉にドドドッと皆が走った。各自一目散に走ったのはなんとピアノの練習室だったのだ。一斉にピアノが全校に鳴り始めた。平生ピアノをさらうのを逃げ回っていたような連中までが、狂ったようにピアノに向かっている…」

  昭和23年12月、帝劇でモーツァルトの〈ドン・ジョバンニ〉が日本初演。そのマゼットが畑中先生の輝かしいオペラデビューである。ドイツのグルグリット先生に「ルックミー、マゼット!ルックミー、ハタナカ」と鍛えられ、「オペラ稽古の地獄」と書かれて笑いを誘う。著者と共に日本のオペラ活動に携わった人々との感動の物語。終章近く、ピアノを前に大きいリボンをつけた中村紘子さん8歳ごろの写真が出ている。畑中先生の教え子達、遙かな時の流れが見える。
(八幡平市、歌人)
 

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします