盛岡タイムス Web News 2012年 7月 19日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉12 長嶺三姉妹

 関根なか子の回想にあるとおりヨシは、当時の日本人女性には珍しく大柄な美人であったようだ。おおらかで闊達(かったつ)な人柄は、在留邦人の社交界でも評判が良かった。領事館に出入りする邦人を「上下の差別なく善く世話」したとされる彼女は、カナダとは言え、明治の日本人社会ではかなり目立った存在であったに違いない。

  ゲンとサダは築地一致教会で洗礼を受けていたことは明らかであるが、タミ、ヨシも東京転居後、間もなくキリスト教に入信していたことと推察される。長嶺家の墓碑(長松院)には「長嶺家の墓」という文字と故人の俗名だけで戒名のようなものはない。

  夫の濬の宗教は定かではない。キリスト教に好意的であったことは確かである。彼がバンクーバー在任中に本省に送った報告書の一節に、カナダへの日本人移民は「基督教ニ帰依シテ教会堂ニ出入シ日曜等宗教上ノ規則ヲ守ル者」でなければならないとしている。さらにキリスト教徒であった田村新吉を官邸2階に住まわせていたこと、日本に帰国後も、バンクーバー日本人美以教会牧師であった鏑木五郎と親しく書信を交わしていたこと等から、濬の宗教上の立場が推測できるのである。

  明治24年9月、濬はバンクーバー領事として2年4カ月在任して帰国した。ゲンとヨシそして欣次郎の他にバンクーバーで生まれたばかりの英三郎の4人を引き連れていた。一家は「麻布市兵宿町」に居を構えた。 杉村濬の功績について、バンクーバーの邦人社会は次のような記録を残している。

  「同市に帝國領事館を創設して初代領事として事務を執れり」。

  「当時の同胞は一定の職業無く、秩序も甚だ整はざる未開の時代…同領事は極力誘掖指導に努め、改善策を講じ只管邦人同胞の発展を尽せり」。

  「鞠躬尽力諄々として邦人の指導に努め、漸く邦人をして白人間に認めらるゝに至らしめし効果は特筆すべきもの」。

  「氏は漢籍の造詣極めて深く、『晩香坡(バンクーバー)』の名称の如きは氏が在任中自ら選定せる好個の記念なり」。

  帰国に当たっての外務省の記録は、

  「海外旅券下付(付与)返納表/明治二十四年/四七一一八 杉村濬 加奈陀晩香坡領事 英領 転勤 /四七一七九 杉村ヨシ 右同人妻但し次男及び三男併記 仝 右同伴」となっている。

  杉村夫妻は現今の外交旅券に相当する旅券であったようだ。子どもたちは夫妻の旅券に併記されただけのようだ。ゲンは一般の旅券で発行区分は岩手県ではなく、東京市になっていた。

  帰国後、濬は直ちに朝鮮・京城に赴任した。京城公使館書記官兼領事の肩書きであった。ヨシは子どもたちと一緒に麻布に居住した。次女貞は本多庸一の妻として、青山で子育て中心の生活であった。タミとゲンは裁縫業の傍ら、杉村家と本多家の子育てを交互に手伝っていた。

  このころ注目すべきことは、長嶺三姉妹とタミは、矢嶋楫子の主宰する東京基督教婦人矯風会に共鳴して、積極的に活動していたことである。
 


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