盛岡タイムス Web News 2012年 7月 27日 (金)

       

■ 〈野村胡堂の青春育んだ書簡群〉86 八重嶋勲 大兄等よく御勉強を願います

 ■119ノート・原稿用紙 明治三十六年二月四日付

宛 東京市麹町區飯田町四丁目三十一番地 日松館内 野村長一様 
発 盛岡市内三ツ割四一 猪川浩

意外にも御無沙汰致したる者かな、大兄等が信書に接せする事数度にして今漸く筆を採る事なり、今より学校へ出る處なれば三十分許りこれより御話し致さん、盛岡と言ふ者ハ、土の埃散り乱るヽ様なりしが、今日昨日の雪には恐れ入らざるを得ず候、梅が咲いたの何のと花の便りがあれば、自分は心も空だ、此の頃は中野公証役場へ助ける事と成り、夜は六時でなければ皈(帰)られぬ、十時になれば寝(眠)くなる、その間試験の準備もせねばならず、何が何といふても物理は全く一冊なんで、歴史は中世紀からと言へば大変なり、数学は悉切わからず泣き番前なり、それに自分独り(で)あるから用が多くても少しも勉強は出来ず、三角や代数は学校得へ行っても何の事か解らす、どうし様かと泣いて許り居ります。多忙な位い人間は善い事はないが、学生の僕に取りては矢張り餘祐(裕)がある事が何より大切である。で僕は悉ぐ(く)感に入りたのは、労働し乍ら勉強するのは大抵は不結果に終るであろうと云ふ事なり、第一時間の餘祐(裕)は寸分もない、それで労働して成功した人があれば大変いらい(偉い)もんである。其の人は些くとも勉勤家か或は偉なる所があるに相違ないと思ふ。これで思ひ出したが、五山君はいよいよ仙臺の方を廃したと言ふ事である。最も家事上の都合とあれば仕方のない事であるか、私しは悲みに堪へぬ譯であります。我が友は皆かくの如くに仆れてしまうのであります。三柊兄、杏子兄皆これ等で次に来る可きものは自分であると思へは、学校も何もいやになって来る、第一これが当然、しかる可き事であります。何とぞ吾が黨(党)より一人の人間を出したい積りでありますから、大兄等よく御勉強を願ひます、何にこんなくだらん事を言っても初まらず、

それから僕は各目の上俳人でなければ成りません、今夜も杜陵吟社が岩手学事彙報で打たれました。僕はこれに応戦して姓名を名乗りてやりました。座談しようといふ例の松郎が筆鋒でやっつけてやりました、人間ちう奴はとかく意地か無いもんで、怒鳴ってゞもするならすぐ引込であります。でこんな有様ですから、自分は飽くまでホック送りでなければなりません、一度我が名誉を発暢する暁は屹度世の誤解が晴れます、

それをなん待つ譯なれど、杜陵吟社の人間は一体一人も取るに足らむ人間許りで隠見な奴もあれば無主義な奴、腑甲斐ない女郎見たいな人間、年が年中貴公子然とかまへ込んで横平(柄)にやって見たかったりするヤクザ者の寄集りだから、自分はこんなせつない思ひをするんで、一体彼等は精神教育といふ事を夢にも知らなんだから困り切る、どうか御手紙をこれ等の諸子へつかはるヽ時は精神教育でも吹き込んでやって下さい。然も豪然と済す(ま)し込むで居るのは愚の骨頂である。聖書にとあるそうだ「人の頭たる者は最も多くの人につかへよ」といふてある相です。どうせ愚物は度し難い、孔子さんかお仰る「婦女子と小人は度し難し」とはこんな事を云ふのでしょう、
此頃内丸の牧師から聖書を聞いて居ました、僕は初その者を説かるゝを解せない、神の言を聞き度いのである、牧師はこの點(点)につい誤解してる、僕を求道者としてる初の言は実に気に入りて、しっかり神に恋れ込んだ暁が求道者となり信者となるのです。来る十六日は日蓮聖人の誕生日で小沼(オヌマ)に祝する積りだ。信仰の力は阿部さんとあれ程まで保って居るのを見れば、実にい(え)らい者と思はれる、羨しくとたまらぬ、僕は常にこの事を拳ニ服膺せんと思ふなり、「自他をいつはらざる事」これは三柊兄と確く契った言であります。皆さんへこゝに御ひろー(披露)するんちや。学校が遅くなるから左様なら

     露子君へ―炎天先生へバイロンをやりました。あれば菫舟君、五山君と伝っ来て僕にありましたから左様御承知被下、炎天君に言はれた時は僕は実に          立腹(ハラダチ)ました、これは却って僕にバイロンが来てる事を話して置いたからでした。

     露子兄             36―2―4
     菫舟兄                 箕人拝


キン舟兄へ

    至急御願用

あの僕は三柊君を見兼ねますから僕をどうか助けて被下、何れこの中に御手紙でくはしい事は御話し致しますが、五山君はやめたについては一度も当分出所なしで小沼の方へ頭が上がらず毎日胸が結ぼれで開くる事がない、三柊兄も五月迄でに銀行へ金を返へさねばならずとて気の毒だがと云って来てる、僕はどうしようかと苦しくってたまりません、
杏子君外套持って来て両渓君の家にある、相なれば往って持って来ましょう。
シヤスン(写真)漸く取りてあげたはづ、あの金もさんだんのある金、浮世だね君、
     キン舟さん                    わたし

 【解説】岩動露子・野村菫舟宛ての方は、ノートにペンで細かい字でびっしり二ページ書いている。また、「キン舟さん」宛てのは、岩手日報の原稿用紙四百字詰一枚である。

  中野公証役場にアルバイトで勤めながら、盛岡中学校最後の試験の勉強をしている苦労を伝えている。

  文中「何とぞ吾が黨(党)より一人の人間を出したい積りでありますから、大兄等よく御勉強を願ひます」と長一に大成を期待しているところ面白い。

  杜陵吟社の連中の腑甲斐(ふがい)なさや宗教論、基督教信仰、阿部秀三(三柊)の日蓮聖人崇拝のことなどを述べている。


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