盛岡タイムス Web News 2012年 7月 29日 (日)

       

■ 〈ジジからの絵手紙〉16 菅森幸一 「学校給食こと始め」

     
   
     
   戦争は国民生活のすべてを破壊した。国土は荒廃し、食料・家・衣料・あらゆるものが不足した。物価が途方もなくあがり、なかでも食料の不足は深刻で満足に「ご飯」を食べる事などできなかった。

  米は配給制度で勝手に売買出来ず、たまにある配給も米の代わりに代用食といわれた芋やカボチャがほとんどで、時には欠配といって何もないこともあり、国民全体が猛烈に腹を空かせていた時代だった。

  今でいう学校給食のはしりとしてジジたちが食べたのは、日本軍隊が備蓄していた「乾パンと金平糖」だった。お菓子や糖分には縁のなかった子どもたちは、恐る恐る食べたものだ。やがてアメリカ軍からの放出物資と言われる「干しアンズ」や「干しブドウ」「干しリンゴ」等が時々配られるようになったが、とても飢えを満たすというとこまではいかなかった。

  やがて有名な「脱脂粉乳」が登場する。砂糖抜きの粉ミルクのようなものを湯で溶いたもので、よく腸にガスがたまり教室のあちこちで快音が響いたものだ。

  アジア救済連盟(ララ物資)の援助でパンやスープのような本格的な給食が始まるのはかなり後の事なんだよ。

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