盛岡タイムス Web News 2012年 7月 31日 (火)

       

■ 〈大連通信〉32 南部駒蔵 アカシアの大連

 歴史で学んだこと以外に、私が大連という都市を知ったのは清岡卓行の小説『アカシアの大連』を読んでからである。ところが悲しいことに私は、大連の街がどのように描かれていたのかまったく覚えていない。ただ妻を亡くした悲しみが美しく描かれた恋愛小説だったこと、そしてその中にあった少し古風な詩はおよそ30年(?)たった今でもそらんずることができる。

  「あひ会はむすべもなく 今は遠く去りにけらしな。をろかしや昨日の夢にわが初めて知りしその髪の淡き秘め事 われはかつてなれを愛しぬ なれもまた我を愛しぬ」

  確かこんな風な詩であった。

  この小説を読んで以来、私の心にアカシアは大連の枕詞のようにいつも付いていた。とはいってもすぐ大連へ行きたいとか、大連に憧れていたわけでない。アカシアはただ枕詞のように付いていただけの話である。(私が大連に来たいと思ったのは、子規が従軍記者として来たことが直接の動機である。)

  ところが昨年、この寮に一緒に着いた女性は大連をアカシアと結び付けてロマンチックな街として憧れて来たらしい。小説の中で大連のアカシアが美しく、印象的に描かれていたのだろうか。それにしても小説、文学というのは、いまだ行ったことのない土地に対する夢をかきたて、観光の役割も果たすものだと改めて思った。今大連を体験している私は、もう一度あの小説を読んでみたい。また、5月に咲くという大連のアカシアを見てみたい。

  アカシアに関連して、つい最近Lさんから、大連は中国で「フアイチャン(槐城)」―アカシアの街、とも呼ばれていることを聞いた。大連育ちの清岡卓行は自分の体験だけでなく、それを知っていて小説の表題にしたのであろう。大連は中国人にとってもアカシアの街、浪漫都市なのだ。大連の観光地図にもちゃんと、大連は「最も美麗」な「最も浪漫的城市」だと書いてある。

  アカシアの大連として憧れて ここに来たりし女人もありき
      (元岩手医大教授)

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