盛岡タイムス Web News 2012年 8月  3日 (金)

       

■ 〈学友たちの手紙〉87 八重嶋勲 御らんの上は焼き捨てられたく

 ■120半罫紙 明治三十六年二月八日付

宛 東京市麹町區飯田町四丁目三十一 日枩舘 野村長一兄 
発 西暦千九百三年二月八日 岩手縣膽澤郡若柳村 猪狩湖畔(見龍)

      《御返事を待つ》

有難き御手紙うれしく拝見仕り候、

今宵の如く月ほの暗く雪ふりて淋しき夜はなかるべくと存じ候、犬の遠く吠ゆる音も聞えて何となく都會の夜更の感も有之候、小生事愈々学校勉めも満期と相成り申し候、都合悪しければ来る三月まではぶらぶらと遊はざるべからざる事に候、君の御手紙と共にキ(箕)人君より写眞送り越され申し候、右側に立ちたる余は至って落付きはらつて田舎者の様に見え申し候、


岩動兄も貴兄同様勉強の由誠にうれしく存じ候、今年の三部も多少骨折れ申すべく候、私しはむしろ貴兄に向かって札幌農学校をすヽめ申し候、併しこれとも三部とは、伯仲すべき人員は募りに應ずる事なれば油断は大敵に御座候、私しは、実は、君があくまで醫者となる目的ならば専門学校に御入学なさるヽ方却つて宜しかるべくと存ぜられ候、私しのすヽめはあまり実際に近き考へかも知れ申さず候へ共、卒業後亜米利加に一年も遊学仕れば余程今の学士などよりも実際、うである者となるに宜しく候、併し名誉心なる者はお互離れんとして離るべからざる者に候へば、これも至し方無之、若し名誉もいらぬと言ふ人ならば専門学校の方もよかるべく候、御意見如何や、

静夜黙想つらつら昨年の余が罪悪史を回想致し、ザンキに堪えず申し候、よが去年の来る九日からは学費の出所に困り居り候所、村長の紹介にて、高橋倉治より学費仕(支)給さるヽ様になるかも知れず、若し成れば幸に候、(三四に比しては)御安心被下度候、

君の父上も年寄りたる事なれば君が七年間大学及(び)高等学校にて奉行するとは、余程ノンキな事に候、どうせ、私し共は外国へ行き度く候間、卒業の上は亜米利加に行く覚悟に候、学費は三浦寅三君の御紹介にて成るべく約束致し居り候、同君も行かるヽ由に候、

君も出来るなら少しのつらい所を我慢して僕と一しょに、夏から専門学校に這入つては如何に、村井君も居らるヽにて候、三人して理想的生活を仙臺にて、成しては如何に、

くだらなき事のみ申し誠に相すみ申さず候、悪しからず御思召致被下度候

君の日益健全なる信仰にすヽまるヽは、誠にうれしく存じ候。神は決して人類を捨て給はず候間、吾々は共に神に従順なる、徒として清き生涯をすごす(し)度候、地に於て大ならんよりは天国に於て大ならん事を望み申し候、吾々の現在にある社會は神の『試み』を受くる社會なれば、吾々は此試練を経て天国に入るべく候、

近日考へつヽある事等少なからず候へ共、あまり夜更け候まヽ、此辺にて筆止め申すべく候、乱筆は幾重にも御許し被下度候、願はくは主と共にあらんことを、クリストの御名によりて祈り居り候、

宮川君音信絶えてなく、キ(箕)人君も同様に候、私しは何も本いらなく候へ共、

共益商社より出版に成りし『方舞』                              夜十時
                                湖畔迂生
      長一兄

此手紙御らんの上は焼き捨てられたく、あとまで残し置かれては宜しかるまじく候、どうか願上候、

 【解説】長一の進学について、「仙台の医学校三部も多少骨が折れるだろう。どうしても医者を希望するとすれば、専門学校に入学することを勧める。しかし、私は札幌農学校をすすめたい。」また、「君の父上も年寄りたる事なれば君が七年間大学及び高等学校にて奉行するとは、余程ノンキな事に候」と長一の父の気持を考えよ、と諭している。

  その後、長一は、実際に仙台医専を受験したが、合格しなかったようである。

  猪狩見龍は、仙台医専を卒業し、医者となった。キリスト教信者であり、無料診療を行うなど奉仕的な活動を続け敬愛された。この手紙で、この頃からキリスト教を信仰していたことが分る。長一もまたキリスト教を信じていた。

  なお、長一が医学校を受けようとしたのは、父の強い勧めによったもので、長一自身は文学か絵画の方に進みたかった。父との考えがなかなか合わず、結局は、法科に進むことで父子の合意ができたのであった。




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