盛岡タイムス Web News 2012年 8月 13日 (月)

       

■ 〈1945年の夏 語り継ぐあの戦争〉上 兄の孫に無念の思いを託す

     
  特別年少兵の教育当時の羽澤春吉さん(最後列右端)  
 
特別年少兵の教育当時の羽澤春吉さん(最後列右端)
 
  今年は日米開戦から70年目になる。本紙では戦没者遺族への聞き書きを続けてきたが、取材の過程で14歳で志願し、15、16歳で出征した多くの少年たちのことが分かってきた。今連載では70年前に志願出征した元少年兵の証言、執念の調査で少年兵の戦死の様子を明らかにした遺族、米英の艦隊により街が破壊された釜石艦砲射撃がどのようなものだったのか被災者から聞き取り、記録として残す元高校教諭の取り組みの3回に分けて紹介する。(荒川聡)

  八幡平市安代地区の羽澤良和さん(52)の大叔父春吉さん(享年16)は海軍特別年少兵の1期生だった。昭和19(1944)年1月25日午後11時5分、太平洋上の小島ナウル島(現ナウル共和国)に向かう途中、乗船していた駆逐艦涼風(すずかぜ)が潜水艦の雷撃を受けて撃沈された。春吉さんが亡くなってから約半世紀、兄の孫・良和さんの夢枕に立って戦死した時の光景を疑似体験させ、自分が戦死するまでの足跡を調べるように頼んだという。遺族が高齢になる中で、今なお無念の思いを残し、成仏できない戦没者は少なくない。

  春吉さんは昭和2年4月17日に旧荒澤村に生まれ、荒澤尋常高等小学校を17年3月に卒業、半年後の9月1日付でに横須賀海兵団に入団。翌年7月まで11カ月間基礎教育を受け、さらに砲術学校で3カ月学んだあと実践配備された。

  良和さんの祖父・市太郎さんは春吉さんの兄になる。全く面識がない大叔父を調べようと良和さんが思い立ったのは、20年くらい前に見た不思議な夢がきっかけだった。

  「私が海で泳いでいる夢を見た。撃沈された時、ただ泳いでいて他の仲間がただ見ている。大叔父が亡くなる時に見た光景。戦争で名もなく死んでいった人たちを、あなたが記録にとどめて後世に残しなさい、このように言われた」と話し、この夢のことを今も明確に記憶している。

  春吉さんの死については、戦地に向かう途中に船が撃沈されて亡くなったという簡単な内容しか羽澤家に伝えられてこなかった。詳細な内容は、国に申請しなければならないということを誰も知らなかったためだった。

  旧安代町、県、厚生労働省に照会して戦没状況が判明。旧日本海軍関係者で組織する海交会などに問い合わせ、本などからも情報を集め「海軍の軍制に詳しい人を本から知り連絡したところ、海軍特年会という特別年少兵の会の会長をやった方の履歴を所持しておられ、照らし合わせたところ大叔父と同じ履歴で、特年兵ではないかということになった」と、小さな糸口からたどっていった経緯を説明した。

  特年会の元会長に連絡すると、春吉さんと同じ班に所属していた人を紹介された。「その人から大叔父が海軍で学んでいた砲術学校のことを聞き、幾枚かの集合写真を送ってもらった」と話す。

  調査で明らかになったことは、砲術学校を卒業後、青森県大湊の防備隊を経てナウル島を警備する67警備隊に配属。トラック島(現ミクロネシア連邦チューン諸島)に上陸後、駆逐艦涼風に乗船してナウル島に向かう途中に撃沈されたことまで判明した。

  春吉さんに限らず戦地に向かった特年兵の多くは撃沈、南方の島々で戦死するなど、生存できたのは3人に1人というものだった。

  ここまで調べた良和さんは、当時健在だった祖父の市太郎さんに報告した。「供養するためには、どのように亡くなったのか知りたい。その上で拝まなければならないという思いが私を行動させた」と、当時の心境を話す。良和さんは旧荒澤村から出征し戦死した2人のことも調べて遺族に伝えた。「戦没者たちは、どのようにして自分が亡くなったのか家族に知らせたいはず。どちらの遺族も思いは強かったと思う。戦没者の思いが私を行動させた」。春吉さんだけでなく思いを残して亡くなった戦没者たちが行動させたと考えている。


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