盛岡タイムス Web News 2012年 8月 13日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉84 照井顕 葛西良治のロマンチックなドラム

 60歳の還暦同級会の時まで、中学校の同級生たちの中に、音楽に関係しているのがいないと、少し寂しく思っていたら、1人おりました。葛西良治 (65)さん。

  聞けば、平泉中学校を卒業し、埼玉県川口市の中矢塗装機という会社に就職。夜は、東京声専(現・昭和音大)に通い、器楽科でジャズドラムを、故・ティーブ釜萢、八木宏の両氏に教わりながら、プロを目指したのだったと。

  昼夜二股のセミプロ生活をしていた1967年12月、師から頂いたチケットで来日したドラマー“バディリッチ(19 17〜87)”のビックバンドを聴きに行き、圧倒されあぜんとした。「実は腰が抜けるほど驚いたのだった」と。それがきっかけで、プロドラマーになる決意。キャバレー、サパークラブなどに出演。歌手伴奏なども務め、札幌オリンピックの時には、現地のホテルに出張演奏もした。その10年余りのバンドマン生活をやめて平泉に戻ったのは、母がけがをしたためだった。

  以来、ドラムを叩くことから石を叩く石材業に転身。雪子夫人と結婚をしてからも、ドラムは押入れにしまい込み、封印し続けること30年。東京時代に昼飯抜きでも、聴きに通ったジャズ喫茶。今は隣町一関の「モリソン」に通う日々。その店で「マスターとの話から2007年、東京の連中と一緒に、ドラムを叩くはめになった。60才だったし!」と笑う。

  そして間もなく、平泉・吉野屋菓子店のフロアに置いてあったピアノを使い、吉野さおりさんのフルートと、ピアノ、チェロ、ホルン、ドラムという、まるでクラシックのような編成でジャズのスタンダードを演奏するバンドを結成し活動を始めた。それから5年、開運橋のジョニーでも時折、味のあるドラムを叩いてくれる。

  彼が音楽を好きになったのは5才の時。父が持っていたSP盤レコードの「一杯のコーヒーから」がきっかけだった。藤浦洸作詞、服部良一作曲のその歌は、昭和12年、霧島昇とミスコロンビアが歌った、当時としては珍しいくらい軽やかなリズム、踊りたくなるようなメロディーのハイカラソング。「一杯のコーヒーから夢の花咲くこともある…一杯のコーヒーから小鳥さえずる春も来る」現在(いま)に通じるモダンな歌!おかげさまで77年前の“一杯のコーヒー”から、話が弾んだ。良治さんの父よ!あなたは…ロマンの男だったのですね。
      (開運橋のジョニー店主)

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