盛岡タイムス Web News 2012年 8月 15日 (水)

       

■ 〈日々つれづれ〉134「死を思え」三浦勲夫

 救急車が今日も行く。急患を搬送して病院に急ぐ。患者は診断と治療を受け、そのまま入院するか、あるいはしばらくして帰宅できるか。生か死か、運命の分かれ目である。

  健康保険制度の普及は国によって違う。日本は国民皆保険だが、アメリカは個人の意思で加入するようだ。重病の場合、保険で補てんすることがないと個人では支払いができずに、最悪の場合はあきらめて死を迎えざるを得ない。

  日本人は国民健康保険などいずれかの保険に加入が義務付けられている。居住1年以上で在留権を取得した外国人も加入できる。加入者は3割負担で、保険から7割を補てんされ、医療を受けられる。その保険制度が財源的な問題で危機を迎えている。そこで「税と社会保障の一体改革」という名目で、消費税の増税案が国会で審議され通過した。

  増税賛成は民社、自民、公明などの三党で、反対はその他の党だった。しかし国会審議をすぐ行う、あるいはすぐには行わない、という問題で三党の足並みはそろわず、国会解散の日を明言せよ、しない、という点でも互いの党利が複雑に対立している。

  社会保障制度改革が遅れる間にも国民や日本在留外国人などの病気は待ったなしだ。医療費の3割負担、保険の掛け金増加や消費税増加の負担能力などが国民生活に大きな影響を与える。増税なしで社会保障制度を維持するため無駄な国費支出を停止せよ、減少せよといった議論も必要だが、何を切るかが明確化していない。

  保険制度は古代ギリシャ時代から、海賊による危難保障のための海上保険があった。日本でも頼母子講などの無尽制度は保険制度に該当する。国会で健康保険法が論議され議会を通過したのは大正11(1922)年で施行されたのは昭和2(1927)年だった。国民年金制度がスタートしたのは36(1961)年で、50年余り前のことだ。

  日本の年齢別人口構成が変化して老人が急増した。激増老人層に対処するには保険の掛け金を増やさなければならない。そして消費税増税となる。心情的には増税案は国民の多くから歓迎されない。選挙での得票数にも重大な影響を及ぼす。しかし重要案件として火中の栗を拾わなければならない。政治的駆け引きがなされる所だろう。

  それとは別に、人間には常に「死の運命」がつきまとう。保険制度や医療が未発達だった古代や中世、近代では、生は死と隣り合わせという意識は強かった。ラテン語ではMemento mori(メメント・モーリ)(死を思え)と言った。日本では「武士道というは死ぬことと見つけたり」(「葉隠」)を思い出すが、その意味は「重要事項を決断するとき自分は死んだものと思って判断すれば私欲が働かず正しく決断できる」の意味だという。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語)も思い出す。

  死を忘れずに生きる、これが価値ある生き方なのだろう。ラテン語ではMemento vevere(メメント・ウェウェーレ、「生きることを思え」)もある。人間はある時点までは自分はまだ死なない、倒れる日はないと思っていられる。しかしその時は否応なくやってくる。病気あり、事故あり、天変地異あり、戦争あり。死を忘れずに「メメント・ウェウェーレ」である。
  (岩手大学名誉教授・元放送大学客員教授)



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