盛岡タイムス Web News 2012年 8月 23日 (木)

       

■ 〈岩手からのカナダ移住物語〉17 菊池孝育 カナダの長嶺ゲン2

 カナダ日本人社会におけるゲンの出番がいよいよやってきた。

  明治33年、バンクーバーに住み着いたばかりのゲンは、教会の英語学校で英語を習い、カナダの国情を学び、良きカナダ市民になるべく第一歩を踏み出した。その傍ら、鏑木五郎牧師と田村新吉の指導と助言のもとに、教会活動を進んで引き受けたのであった。

  一つは、教会日本語学校の教師岸本コウ子の補助の仕事であった。岸本も日本から招かれたばかりであった。ゲンは主として日本語学校にやってくる子どもたちの面倒を見て岸本を助けた。日本語学校は小学校レベルの子どもたちに、本国と同程度の国語力と現地カナダへの同化教育を授けることを目的とした。

  さらには、ゲンは鏑木牧師と計らい、教会内に「基督教婦人会」を創った。信仰を深めながら、在留婦人相互の親交と資質の向上を図るのが目的であった。代表者は教会員である宇井しげ子(雑貨商を営む宇井兵蔵の妻)であった。宇井夫妻は鏑木牧師と同じく千葉県出身である。同婦人会は毎週火曜日、午後2時から教会で集会を持ち、十数名の参会者で研修に励んだ。基督教に関する有益な講話を担当したのはカナダ人婦人伝道者、ミス・プレストンであった。彼女は長らく東洋諸国の伝道に従事したことがあった。ゲンは婦人会の世話役に徹した。

  そして婦人会の同志と語らい、路頭に迷っている邦人女性の救済に乗り出したのであった。婦人救済活動は、東京で既に矢嶋楫子を中心として行ってきた基督教婦人矯風会活動の延長線上にあった。相談、救護の対象としたのは、女性に限らず、邦人社会の落魄(らくはく)者も含まれていた。

  初期の日本人社会には、職場斡旋(あっせん)や結婚を餌に日本から女性を呼び寄せ、表向きは酌婦ながら、売春を強要する悪徳業者も存在した。

  悪所はバンクーバーを中心に、BC州内の日本人労働者キャンプの各所に広がっていたとされる。彼女らは逃げ出したくも逃げ出せない状況にあった。丸髷(まげ)、着物姿でしかも英語が話せないのである。カナダ国という巨大な牢獄の中で和装で醜業を強いられていたのであった。この一連のことについては、工藤美代子著「カナダ遊妓楼に降る雪は」(晶文社、1983年)、同「写婚妻」(ドメス出版、1983年)に詳しい。

  中には醜業に耐えきれず、着の身着のまま、跣足(せんそく)で逃げ出す女性もいた。日本人教会はそういう女性たちの駆け込み寺となったのである。気の毒な女性の世話は、自然にゲンの仕事となった。逃げ出した女性を追って、妓楼(ぎろう)の屈強な男たちが教会の玄関に迫ったとき、大手をひろげて立ちふさがったのは長嶺ゲンその人であった。

  矯風運動では、廃娼、禁酒運動が中心となる。当然のことながら、在留日本人の裏社会と対決することになる。そのころにはバンクーバーにも、暴力団がらみの裏社会が形成されていたのである。肥後の猛婦と称された矢嶋楫子に鍛えられたゲンである。強い信仰心に裏付けられたゲンは、敢然と裏社会に対峙したのである。
 



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします