盛岡タイムス Web News 2012年 8月 27日 (月)

       

■  〈幸遊記〉86 照井顕 福田憲二の極致的象嵌陶

 49才でこの世を去った20世紀陶芸界の鬼才・加守田章二(1933〜83)展が、岩手県立美術館で開催されたのは、2006年の夏。彼は、1967年、最終回となった第10回高村光太郎賞を受賞した時、新たな製作の場を求めて、益子から遠野を訪れ、2年後には陶房を開き、彼の代表作を次々と発表して、遠野時代(1969〜79)と呼ばれる黄金期を築いた人。

  「彼は、亡くなる直前まで、入院先の病室にまで、土を持ち込み作陶していた」そう言っていたのは、加守田氏の遠野時代の弟子だった、象嵌(ぞうがん)陶芸作家の福田憲二さん(1950〜2008)。彼の病も師と同じ血液疾患。偶然にも病院は違えど、同じ先生に治療してもらった。

  加守田章二展が開催された2006年は、宮城県立美術館で、福田憲二展が開かれた年でもあり、岩手県立美術館に師・加守田章二展を観に来た福田さんは「やっぱり偉大だな」と一緒だった妻・まさ江さん(63)に、もらしたという。その話を聞いた時、僕はすぐさま、加守田氏のかつての言葉「福田は弟子なんかではない、ライバルだ!」を思い起こした。

  福田憲二(史)は気仙沼市生まれ。気仙沼高校から和光大芸術学専攻科に進み、油絵を学んだが、在学中に大学に窯を造って、陶芸に転向。その後、益子にて陶研究。1976年、地元気仙沼に戻り、祖父が残した土地に陶房をかまえ、1977年から加守田氏に師事した。

  初個展は1996年。気仙沼・リアスアーク美術館が主催した「福田憲二・象嵌陶の世界」。直径60aもある大皿や陶盆、扁壺など、これ焼き物なの?という位、土肌色にこだわった繊細緻密な美しい象嵌陶。その根気を裏付ける高い技術力と幾何学的模様のデザイン。

  彼がノートに書き、いつも読んでた師の言葉「緊張感を崩してはいけない。器用やうまさに溺れてはいけない。狂ってしまうほどの作品を創ってみろ」を常に心に置き、いつでも、どこでも、おもしろい話で人を笑わせるのが得意だった、彼の笑顔が浮かぶ。あの加守田氏も、かつての師・富本憲吉氏から「形から形を造らず、文様から文様を描かぬ創作こそ陶芸の真の在り方」と教わっていた。

  そういえば1996年初個展の時、気仙沼市内のホテルで催された、彼を祝うパーティーで僕は、彼の「あんば窯」という冷や汗ものの歌を作って、披露したことも思い出してしまった。あ〜あ!
(開運橋のジョニー店主)


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