盛岡タイムス Web News 2012年 8月 30日 (木)

       

■ 〈岩手からのカナダ移住物語〉18 菊池孝育 カナダの長嶺ゲン3

 カナダにおけるゲンの活躍を、大正10(1921)年、中山訊四郎編「加奈陀同胞発展大鑑附録」の「=異国に咲いた大和桜=/永(長)嶺げん子」を中心に、同時期に日本人社会で発行された諸紙誌の記事を加味して、彼女の実像に迫ってみたい。

「大鑑附」は冒頭で次のように記している。

  「風土の気が若し人の性に及ぼすとすれば、東北の山河は豪壮にして自重の人を作り、西南の風物は温雅にして清洒の人を作ると云ふべきか独り男性に於て然るのみならず、女性に於ても亦た然りと云はねばならぬ」。

  当時から、東北人は堂々とした構えで言動に重みがあるとの定評があったようだ。このことは男性だけではなく女性にも当てはまる、との論であるが、この女性は明らかにゲンを指している。言うべきことはきちんと述べ、ものに動じない態度、節度のある落ち着いた言動。ここから彼女の風貌と人柄が浮かびあがってくる。「カナダ日本人合同教会史」の集合写真を見ても周囲の白人女性に比べて身長も見劣りしない。160a以上あったようだ。写真ではふっくらとした印象の美人に見える。

「岩手縣の山岳重畳せる奥深き小村から生れた永(長)嶺げん子女史の如きは、其好個の適例か」。

  ゲンは戸籍によると、万延元(1860)年1月10日、盛岡市鍛治町29番地で生まれた。現在の紺屋町かいわいである。ゲンの生まれた頃は戸籍法は存在しない。南部藩政時代の鍛治町は志家村であったようだ。それで「奥深き小村」出身となったものであろうか。であるのに、女性ながらこれ程の人物が出現するとは、と編者の驚愕のうめきが聞こえてくる感じである。

「女史の姉妹は、本多庸一(青山学院長)、杉村濬(前ブラジル日本公使)氏等に嫁いで居る、此等の関係から女史も自然日本の上流夫人と接触して居た」。

  「長嶺三姉妹」で既に述べたとおり、ゲンの妹サダは本多庸一に嫁して貞となり、末妹のヨシは杉村濬夫人として、カナダ日本人社会ではよく知られていた。そういう関係でゲンは本多庸一、矢嶋楫子、櫻井ちか等のキリスト教指導者および教育関係者や、杉村濬につながる外務省を中心とする官界と広く交際していたことは確かである。カナダにあっても、歴代のバンクーバー領事をトップとする同胞社交界で一目置かれていた。

「今から二十年前晩市に来て、メソヂスト教会に籍を置いて、公共的事業には常に献身的の尽力をした」

  この記事が書かれたのは大正9(1920)年であることは確かである。よってゲンの2度目のカナダ行きは明治32、3年頃となる。直ちに教会員となり、やがて教会役員(執事)に選任されている。ゲンが中心となって、キリスト教婦人会が組織され、「日系人の品位を高むる目的を以て、協力一致禁酒矯風会を起した」のである。「公共的事業」とは、昨今使われる困窮者救済を目的とするボランティア事業に似た活動を指すものであろう。


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