盛岡タイムス Web News 2012年 9月 6日 (木)

       

■ 〈岩手からのカナダ移住物語〉19 菊池孝育 カナダの長嶺ゲン4

 「大鑑附」は続ける。

  「(ゲンは)日常裁縫業を営んで、自己生活の資を求め、社交に入っては風教改善を主として努力した」。

  「大鑑附」に元祖くらべの項がある。そこには「婦人の職業では明治三十六年に永峰(長嶺)げん子が婦人洋服裁縫を始めた」とあって、日本人職業婦人の第一号として紹介している。ゲンは裁縫業によって、自身の生活の資を得ると同時に、無職、無収入の邦人女性に自立の手段としての裁縫の業を手ほどきしていたのである。いわば邦人裏社会から抜け出した女性たちのための授産施設の感があった。「風教改善」すなわち矯風会活動と連動していたのである。

  「加奈陀日本婦人会は女史に依って創立せられ、日露戦争以来、愛国婦人会の為には殊に全力を捧げて奔走し、鏑木、島森、、磯村、山本等の各夫人と共に協同して、義捐金を蒐集した事は莫大であった」。

  日本(愛国)婦人会の創設については、別に「婦人会は明治三十七年長嶺げん子女史の主唱発起によりて始めて成立し、同年三月を以て之れが発会式を挙げたり」との記録もあり、ゲンの主唱発起によって組織されたことは間違いない。ゲンは教会内で基督教婦人会を運営していたことから、教会婦人会が母体となって日本(愛国)婦人会に発展したものと考えられる。会長には領事森川季四郎夫人を推戴して、教会色を払拭しようとした。当時日本では愛国婦人会が組織され、岩倉侯爵夫人が会長となっていた。同会長が杉村濬を通じてゲンにバンクーバーでの愛国婦人会の結成加入を呼びかけてきたのである。

  他の記録にも「長嶺夫(婦)人の尽力にて多数の会員を募集し仍て名けて晩香坡愛国婦人会と称し、森川夫人を擁して之れが会長となせり」とある。そして「晩香坡に於ける一流婦人の団結は愈々強固を加え、母国より顕官名士の来晩する毎に之れを招請して其の講演説話を聞き、以て移民地婦人に適切なる修養に努め其他有益なる智識を得て互に相裨益せしこと少なからず」と記録されている。後に日本婦人会と改称したときは170名もの会員に達していた。

  ゲンと共に愛国婦人会の諸活動の中心となったのは牧師鏑木五郎、漁業者嶋森勝五郎、食堂主磯村初太郎等の妻女と銭湯を経営していた山本コマであった。このころ特に目立つ活動は「義捐金の蒐集」という募金活動であった。

  明治37、8年の日露戦争時に、現地で召集を受けた在留邦人の帰国費用の調達が募金の趣旨であった。そして戦後は、戦死者、戦傷者の家族の援護のための募金も手がけたのであった。当時の邦字紙は

  「長嶺げん子女史は這回日露戦役に際し従軍者遺族を救護せんとの目的を以て在留邦人有志をオブラエンホールに集合し、その方法を協議せんとして奔走せり」と報じた。

  そして率先して10jを拠出し、同胞社会の裕福層をあぜんとさせた。田村新吉の経営する「サンバン」や古屋商店でさえも各5jだったのである。この時ゲンは「三百三十八弗六十仙」を集めたと報じられている。


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