盛岡タイムス Web News 2012年 9月 15日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉280 岡澤敏男 昭和2年頃の宮沢賢治

 ■昭和2年頃の宮沢賢治

  賢治とモリスの相違点について、吉本隆明は「宮沢賢治はモリスのように社会組織の革命の全体的構造のうえに、ユートピアが成立つという着想をまったくとらなかった」と鋭く狙撃するが、はたしてそうだったろうか。

  たしかにモリスはマルクス・エンゲルス思想の影響をうけ社会主義者として政治活動を実践した。そしてロンドンのトラファルガー広場での「血の日曜日」の集会やデモにも参加し逮捕されたこともあった。モリスの『ユートピアだより』には「血の日曜日」の体験が語られ、そうした「社会組織の革命の全体構造」を経て理想社会が成立つという思想がつらぬいている。

  ところが、賢治のユートピア論には宗教的な思考がまじっていて難しくしている。例えば父宛の書簡で「羅須地人協会」の活動を「みな新しく構造し建築して小さいながらみんなといっしょに無上菩提に至る橋梁を架す」(大正15年12月12日)と述べており、また「農民芸術概論綱要」の序論で「われら世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」とうたっている。このように賢治のユートピアには「無上菩提」や「求道」という宗教的用語でうらうちされており、「無上菩提」とは最上の悟りということで、羅須地人協会の活動は政治的ではなく菩薩道の一環との印象をうけるのです。だが賢治は決して政治や社会運動に無関心でなかったことが那須川溢男氏の調査で明らかになった。羅須地人協会が設立された年に花巻に労農党稗和支部が結成され、賢治は支部事務所のあっせん、事務用品の貸与から経済的な支援まで、昭和3年4月に政令により労農党解散に至るまで続けたといわれる。童話『なめとこ山の熊』に、猟師の淵沢小十郎を搾取する町の荒物屋の旦那に、作者(賢治)の怒りがナマの形で挿入されている。この挿話の部分は「動物寓話」から逸脱しバランスを欠くと批判されているが、労農党に接近した昭和2年の作と知れば、この時期の賢治は社会的意識が高揚しており、構成上に問題があっても挿話を取り入れようとした意味が理解されます。

  また羅須地人協会の会員伊藤与蔵の「賢治聞書」によると、賢治はなんべんもマルクスやエンゲルスの話をしたといい、労農党稗和支部の川村尚三は、賢治からレーニンの『国家と革命』を教えてくれと頼まれて夏から秋まで講義したところ、賢治は「これはダメですね、日本に限ってこの思想による革命は起らない」と断定的に言ったという。その頃の詩で「きみたちがみんな労農党になってから/それからほんとのおれの仕事がはじまるのだ」(〔黒つちからたつ〕昭和2年3月26日)という詩章には、みんなが労農党をめざすような社会体制を願望し、そうした社会変革が訪れてから、自分の「ほんとうの仕事がはじまる」革命願望思想がかなりはっきり表明されているのです。このように労農党に接近した昭和2年前後の賢治は、政治意識も高揚し社会変革への意思表明もかなり明確に作品にとどめています。こうした労農党への支援が頂点に達した時に、詩「生徒諸君に寄せる」の「新しい時代のマルクスよ/これらの盲目の衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変えよ」という断章が成立したものと考えられます。この時期の賢治の変革願望について、吉本隆明はなお「心理学」上の構想に属していたというものでしょうか。

  ■一〇一六〔黒つちからたつ〕一九二七年三月二六日 黒つちからたつ

  あたたかな春の湯気が
  うす陽と雨とを縫ってのぼる
     …西にはひかる
      白い天のひときれもあれば
      たくましい雪の斜面もあらはれる…
  きみたちがみんな労農党になってから
  それからほんたうのおれの仕事がはじまるのだ
     …ところどころ
      みどりいろの氈をつくるのは
      春のすゞめのてっぱうだ…
  地雪と黒くながれる雲


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