盛岡タイムス Web News 2012年 9月 24日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉90 照井顕「津田匡義の徳間文庫マーク」

 かつて盛岡中央通3丁目に、僕が大好きだった版画家・津田匡義さん(1941〜2002)が住んでいた。樺太のシスカに生まれ、熱病で小児マヒになり体が不自由だったこともあり、家の中での仕事を指して、穴蔵生活者だと言っていたが、不思議なパワーを感じさせる人だった。

  彼が住んでいた家のある細い道の端には、かつて「ジャズ喫茶パモジャ」があった。そこで彼と知り合い、何度か自宅へお邪魔し話をした。陸前高田のジョニーで、彼の版画展を開いてもらったこともあったし、ハンク・ジョーンズのピアノ、尾田悟のサックス、それにバイソン片山のドラム(1979年僕のレーベル、ジョニーズディスクからレコードデビューした人)などのコンサートを陸前高田で開いた時のポスターにも彼の作品「JANZU」を使わせてもらったりした。いい作品でした。

  彼が使う和紙は「店の片隅に追いやられ、すすけてシミのついたものなどで、それを見つけては、俺と同じだなあ、一緒にやろう!」と、紙に語りかけることから始めていた。そして基調となる藍色は特にも、昔の藍を追求し、それに海の緑色や、砂の色を好んで使った。

  版を掘るノミは、子どもが使う当時365円だったという6本セット。話を聞いた時には10年間一度も研がずに使っていた。無理のない自然な角度で彫っていれば、それは研ぐことと同じなのだと言う意味、ハッとした。それは、レコードプレーヤー「ウェルテンパード」のトレースの仕方と同じなのでした。柄も手の油で黒く光っていて、その彫刻刀すらまるで彼の作品そのもののようだった。

  版画はギチッと色が押ささるものだが、彼は、どうしようもない位、柔らかな伝わりが表現できなければ俺の作品じゃない!とふわりと包みこむような色が出てくれるようにと祈るような気持で刷っていた人でした。

  原稿用紙に、太字の万年筆で描く藍版画の様な、力強くも心のぬくもりが伝わる字で、何枚もの何通もの、手紙やハガキが届いた。僕が盛岡に店を出してから、何かの案内を出した2002年、彼が、その年5月に亡くなった由、奥様の弘子さんからのハガキで知った。残念だけれど、彼の作品である徳間文庫のロゴマーク(男女の双顔)は、今も、日々全国津々浦々に届けられている。(開運橋のジョニー店主)


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