盛岡タイムス Web News 2012年 9月 26日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉300 伊藤幸子 子規の日課

 草花を画く日課や秋に入る
               正岡子規

 ことしも獺祭忌(だっさいき)が巡ってきた。明治35年9月19日、東京市下谷区上根岸八二にて、正岡子規はカリエスが悪化して35歳の生涯を終えた。この夜、母八重、妹律、高浜虚子らに看取られて午前零時すぎ息をひきとった。そのとき母は強い調子で「サア、もう一遍痛いというてお見」と語りかけたという。子規には麻酔の効なく「二六時中只の一秒も苦を忘らるること叶はず」との凄まじい闘病生活だったと伝えられる。掲出句は子規最晩年の作。子規の日課は「草花帖」を描くこと。絵は水彩で「この日課が病床の唯一の楽しみ」と励んでいた。

  「ごてごてと草花植ゑし小庭哉」明治31年10月号の「ホトトギス」にこの庭のことを「我に二十坪の小園あり。園は家の南にありて、上野の杉を垣の外に控へたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて、雲行き鳥翔る様もいとゆたかに眺めらる」と書かれ、糸瓜(へちま)も芒(すすき)も鶏頭も植えられている。

  さて、私はこのほど30年ぶりぐらいに子規庵を訪ねた。9月15日、明治神宮で全日本短歌大会が開催され出席。翌日、東京在住の長女夫婦と根岸の町に遊んだ。猛暑の屋根ごしにチラチラとスカイツリーが見えた。婿どのはスマホを手に江戸文化の解説が詳細だ。

  私が初めて子規庵を訪れた昭和の日も暑かった。新宿京王プラザで短歌大会があり、帰途数人の歌人達と根岸に行った。道を隔てて書家の中村不折邸もあり、今は書道博物館になっている。「子規・不折小路はさみて遠つ世の振り売りの声聞きしかここに」他数首、拙歌集に入れたことなど思い、歳月を感じさせられた。

  子規病臥の部屋の外には折しもへちまが10本ぐらい揺れていた。竹籠には子規の愛したウズラも飼われている。明治32年、高浜虚子からつがいのウズラをもらい、楽しみに写生していた由。すでに一羽は死んだが、寂しそうなので二羽として描いたとか。本日の「子規遺品展」には身近の文房四宝を始め、曲がらなくなった立て膝を出せるよう丸くくりぬかれた座机や、ランプ、黒眼鏡など体温の伝わる物ばかりだった。

  この部屋に布団が敷かれ、書籍や雑品が置かれるさまを想像すると、子規の名付けた「獺祭書屋」のいわれも納得できる。獺(カワウソ)は魚を捕ってもすぐ食わず陳列して遊ぶ習性があり、子規は乱雑な室内をカワウソの祭になずらえたという。糸瓜忌、獺祭忌、子規忌―。私も帰宅したら先ずは整理整頓を心がけてカワウソに笑われぬよう清き日課としたいものだ。
    (八幡平市、歌人)


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