盛岡タイムス Web News 2012年 9月 29日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉282 岡澤敏男 「藁のオムレツ」も農民芸術

 ■「藁のオムレツ」も農民芸術
  賢治は草の刈り方や肥料のまき方にも芸術の存在をみようとしていて、カブをまく畝づくりにはくわでさっと「斜めに掻く」手際にも「彫刻家の鑿のかほり」を、すなわち芸術を認めているのです。たしかに賢治の芸術観は詩歌、音楽、絵画、演劇という純粋芸術だけに限定しておらず、生活にみられるすべてのものに芸術・美を追及し、「農民芸術論綱要」にはつぎのように規定しています。

  準志は多く香味と触を伴へり
  声語準志に基けば 演説 論文 教説をなす
  光象生活準志によりて 建築衣服をなす
  光象各異の準志によりて 諸多の工芸美術をなす
  光象生産準志に合し 園芸営林土地設計を営む
  香味光触生活準志に表現あれば 料理と生産とを生ず
  行動準志と結合すれば 労働技体操をなる

  「準志」という聞きなれない言葉は森鴎外の『審美綱領』からとられたもので「目的・用」と注記されている。つまりは「準志」とは「実用」であり、実用を離れては芸術・美はありえないといっているのです。まさに「芸術とは人間の労働の表現である」というモリスや、「用に即することと美に即することは工芸に於ては同時である」という柳宗悦と芸術観が一致しているのです。ただし賢治は工芸の分野にとどまらず、日常的なあらゆるものに芸術としての価値を敷衍(ふえん)しており、例えば「料理」をも見逃していないのです。 

  賢治作品に和洋各種の料理・食べ物が取り上げられているが、童話「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」に登場する奇妙奇天烈な「藁のオムレツ」には、はたして「香味光触生活準志」の表現がみられるのでしょうか。すこぶる興味のそそる料理なのです。

  賢治は「藁のオムレツ」のメニューを南部藩(盛岡藩)の「飢饉食」によって着想したのかも知れない。南部藩の北辺に位置する五戸地方の農民たちは飢饉時には、刈り残る「藁かぶ」を原料として「藁もち」を作って飢えを凌いだ記録がある。南部藩の史料『飢饉考』の「飢饉食物大概聞書」に飢饉食「稲かぶ」というタイトルで「藁もち」の製法が収録されています。藁(稲かぶ)をそのまま用いるのではなく@良く洗って泥をとりA細かに刻み、臼でなんども搗い粉にしてB水に漬け数回上水を流しC乾燥させた粉に米粉で練り合わせて藁もちを作る手のかかったレシピです。賢治にリンゴ栽培の指導を受けた照井春蔵の家には、天明三、四年の凶作時の「諸事覚書帳」なる古文書があり、「農民は何を食べたか」という記録も収録されていたという。賢治はこれを借りて目を通したそうだから、あるいは照井家の古文書にも「藁もち」の記事があったのかも知れない。

  いずれにしろ、南部藩における飢饉食「藁もち」からの知見が「藁のオムレツ」の料理の創案につながったと考えられる。「藁もち」は再三襲来する冷害飢饉を生きぬいた農民たちの命懸けの試行錯誤によって生まれたもので、「飢餓(けがち)の風土」の芸術的料理と感銘した賢治だったのでしょう。清浄にした藁の粉を素材にして、ミンチやオニオンを混ぜてバターで炒め鶏卵の皮に包めば上等な「藁オムレツ」となります。また藁の粉をアルコール(焼酎)に浸漬して乾留すれば「藁酒」リキュールができあがるのです。

  ■飢饉食「藁もち」について

 細井計著『盛岡藩宝暦の飢饉とその史料』の史料篇に『飢饉考』が収録されている。この『飢饉考』は盛岡藩の歴史家横田良助が宝暦飢饉を記録したもので、そのなかに「飢饉食物大概聞書」の章があって32項目の救荒食物を記載しており、そのひとつが「稲かぶ」という飢饉食でつぎのように説明されている。
   「稲かぶ」
   稲かぶは良々洗ひ土を去、臼にて悉ク搗たゝらか し、水にいせて数篇上水を洗い棄、米の粉ニねり合、 或ハ粮ニも用、在々春いまた雪消す、山老や青物も 萌出ぬ中、食物殊に不足して此稲かぶを製して食ふ、 殊に優れて能き食物なりけると。



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