盛岡タイムス Web News 2012年 10月 1日 (月)

       

■ 徳丹城造営1200年 矢巾町でシンポジウム 続く新たな発見、歴史を見つめたい

     
  遺構から出土した木製冑や古代琴を観賞する参加者  
  遺構から出土した木製冑や古代琴を観賞する参加者
 

 国指定史跡徳丹城の造営1200年記念事業、徳丹城シンポ ジウム「徳丹城とは何か」(主催・矢巾町、町教委、同事業委員会)が9月30日、町公民館で開かれた。徳丹城跡は1947 (昭和22)年に第1次発掘調査が開始され、今年で第72次発掘調査を行うに至っている。史跡からは古代琴や木製冑(かぶと)、別将の文字が入った墨書土器など貴重な出土遺物も発掘されている。シンポジウムには県内外から約200人が来場し、これまでの発掘成果、近年の研究から、改めて徳丹城像を考えた。

  川村光朗町長に代わり女鹿春夫副町長は「徳丹城は本年で節目の年を迎えた。これを受けて町では、年間を通したさまざまな催し物を行っている。国の史跡に指定されて以来、地域の皆様の協力を得ながら、成果を上げてきた。このシンポジウムを通して、多くの方々に、徳丹城への理解を深めていただきたいと思う」とあいさつした。

  続いて、町教委の西野修氏が発掘調査成果を報告した。同史跡は造営年とされる弘仁3(812)年3月ころから数え、1200年を迎える。しかし史料上、造営年を直接伝える記述はないという。「胆沢城、志波城は日本紀略の記述からそれぞれ、802年、803年の造営とわかる。徳丹城については簡単にはいかない」と話した。

     
  町公民館で行われたシンポジウム  
 
町公民館で行われたシンポジウム
 

  現在の弘仁3年3月という説は、「日本後記」や平安時代の法令集「類聚三代格 五」の記述による。「弘仁2年の日本後紀から、志波城における段階的な兵の削減案が読み取れ、同城の移転が完了した後に1千人の削減が示されている。弘仁3年4月の類聚三代格では兵の数、減定すでに終わると記されてある。志波城の移転の終了を徳丹城造営の終了と考えているもので、極めて有力である」とした。

  志波城は川に近く、水害が発生するため移転された。当時の情報伝達能力を勘案し、徳丹城の完成が平安京に伝わる日にちを算出すると、同年3月上旬から中旬になるという。

  西野氏はシンポジウムのテーマ「徳丹城とは何か」に対して「志波城後の陸奥国北端の城柵として、当時の和我(わが)、稗縫(ひえぬい)、斯波(しわ)の三郡統治という新たな機能を継承し、胆沢城傘下で機能したと考える」と話した。

  シンポジウムでは同史跡で出土した木製冑や復元した古代琴なども展示され、訪れた多くの人の関心を集めていた。


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