盛岡タイムス Web News 2012年 10月 4日 (木)

       

■ 〈岩手からのカナダ移住物語〉23 菊池孝育 水沢立生会

 バンクーバーに「水澤立生會支部」が誕生したのは明治39年11月3日のことであった。この日は明治天皇誕生日に当たる。場所は「パウエル街三六九」となっているから、ゲンの住所に近い。「水澤」とあるが、れっきとした岩手県人会であった。当時、カナダ在住の岩手県人はほとんど胆江地区出身であった。盛岡出身は長嶺ゲンをもって嚆矢とする。会は水沢出身者が中心となって運営していたものであろう。

  その記録を紹介する。

  「一、創置 明治三十九年十一月三日の創置に係り其当時是を水澤髏キ會と称し居たるが昨四十一年十一月三日より水澤立生會と改称せり」

  水沢留守藩の藩学が立生館(りゅうせいかん)であった。留守藩士の子弟が学んだ。維新後、立生館は郷学校となり、後塩竃(水沢)小学校となった。カナダの水沢出身者が郷里をしのんで名付けたものであろう。

  「一、組織 同會は岩手縣人を以て組織し其目的とする所は他の府縣人會と同じく同縣人の和親を計り相互の利益を増進せんとするに在り」

  このことから、その時点では胆江地区出身者が多いが、将来岩手縣各地から移住民が増加することを見込んで、規約を制定したものと推察される。 

  「一、基本金 郷里の名士より仰ぎたる寄附金及び會員より醵出したる金額数百弗あり」

  郷里の名士は多分後藤新平、斎藤實等であろう。数百ドルは当時としては大金であった。

  「一、會員数 二十六名/一、本部 東京神田区花房町三/一、現役員 支部理事/内田盛/吉田愼也」

  神田花房町は現在の外神田一丁目に含まれる。当時、この地に水沢出身者の同郷会として「水澤立生會」が置かれていた。多分、斎藤實の私宅(あるいは個人事務所)ではなかったか。この本部から資金の援助を受けてバンクーバーの水沢立生会となったものであろう。

  もう少し古い記録がある。

  「岩手縣人會/水澤立生會(明治三十八年九月)/明治三十八年九月晩香坡在留の岩手縣人有志相集まり『水澤立生會』を組織せり、郷人の和親と啓発と保護とを目的とし、市内第五街二〇一三番地に三五〇〇弗を投じて家屋並びに土地を購入し、以て會員の寄宿所に当てたり。會費は毎月一弗、現在會員三十五名、基本金約五〇〇弗を有す。(理事兼会計)阿部松之進氏、(監査役)吉田愼也氏当選し何等特殊の規約を制定せず専ら會員の自活的精神に準拠して會務を運用しつつあり(中山訊四郎編、加奈陀之寶庫)」

  これによると1年余りも前に「水澤立生會」の原型ができていたのである。巨額の資金は東京本部からの援助であったことは疑いない。資金の運用を司る理事兼会計に阿部松之進(宮城県岩ヶ崎町出身)が就任していることで、東京本部の立生会を支える大物を、ほぼ推定することができる。


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