盛岡タイムス Web News 2012年 10月 8日 (月)

       

■ 被災者が聞き書き 湊雅義さん(山田町) 「それぞれの真実それぞれの思い─2011.3.11」 SAVE IWATEが発刊

     
   震災当時、無線機、デジタルカメラ、地域住民の名簿のみを手に、高台に避難したという湊雅義さん。同じ被災者の立場で貴重な証言を集めた  
   震災当時、無線機、デジタルカメラ、地域住民の名簿のみを手に、高台に避難したという湊雅義さん。同じ被災者の立場で貴重な証言を集めた
 

 東日本大震災津波の被災地支援に取り組む盛岡市の一般社団法人SAVE IWATE(寺井良夫代表)はこのほど、「それぞれの真実それぞれの思い―被災者が直接語る2011・3・11岩手県山田町の記録」(191n、定価1500円)を発刊した。山田町北浜で被災し、雫石町の温泉施設に一時避難した湊雅義さん(69)が、一緒に避難した同町の被災者ら34人に聞き書きした記録をまとめた。被災した当事者同士ならではの生々しいやり取りがつづられ、当時の緊迫した状況や生死に直面した一人ひとりの思いが伝わってくる。

  元自衛官の湊さんは自治会事務局長を務め、震災前から地域の防災マップ作りや防災訓練に熱心に取り組んできた。3月11日、海岸に面した北浜地区は260戸のうち9割が被災し、湊さんも自宅を流失。避難先の善慶寺で、避難所の運営に当たっていたが、90歳を超える両親の体調を考え、雫石町の鴬宿温泉(長栄館)へ避難した。

  今回の記録の大半は約4カ月間、温泉で避難生活を共にした山田町の人たちから昨年夏に聞き取りした録音テープが基になっている。「この体験を何かに残すべきでは―」。妻の和子さん(65)に知人が告げた一言が、聞き取りを始めるきっかけになった。

  同じ被災者で顔見知りの湊さんとは通じ合うものがあるのか、ほとんどの人が多くを尋ねなくとも、あの日の体験をつぶさに語ってくれた。

  水没した家の中で、浮き沈みを繰り返したあげく、奇跡的に脱出した人。避難途中、車いすに乗せていた99歳の祖母を目の前で波にさらわれたと悔やむ人。ある漁師は、はえ縄漁の最中に地震に遭い、がれきが行き交う海を丸2日漂流。変わり果てた港にようやく接岸した後は、行方不明になった身内を探し回り、何百もの遺体と対面した。

  「地震が来れば津波という意識はみんなにあったはず。しかし、津波警報が出て、津波がきたとしても、これまでは数十a。どこか気の緩みがあった。逃げずにいた人、いったん避難したのに戻った人が犠牲になっている」と湊さん。「『訓練のおかげで命が助かったの、ありがとう』との言葉も聞き、胸のつかえが下りた気もしたが、死んだ方は戻らない」と、改めて素早い避難の大切さを訴える。

  湊さん夫婦は、通院が欠かせない高齢の両親を抱え、盛岡市内に移住する決心をした。和子さんは「古里を離れたくて離れるわけではない。内陸に来た人はみんなどこか後ろめたさを感じている」と話す。「被災者に声を掛けにくいと思う人も多いと思うが、ぜひ声を掛けてほしい。誰かが自分を気に掛けてくれた、思い出してくれたということだけでうれしい。力になる」という。

  SAVE IWATEは震災直後から被災地への物資支援を始め、内陸避難者のための復興支援センターの運営や学習支援、就労支援などに取り組む。寺井代表は「震災の記憶の新しい時期に、同じ地元の人が聞き取った非常に貴重な記録。湊さん自身も長年、地域の防災に関わっており、その視点からも後世に伝えていくべきだ」としている。

  同書は、盛岡市内の主な書店などで発売中。問い合わせはSAVE IWATE(電話654―3523代表)または盛岡出版コミュニティー(電話ファクス019―651―3033)へ。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします