盛岡タイムス Web News 2012年 10月 31日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉145 三浦勲夫 知情意

 人の世の中、どこに行っても角(かど)がある人ばかり。ぶつかり合い、きしり合う。あり得ないことだが、みなが丸い性格なら、滑らかにいく。「四角い仁鶴(にかく)がまぁるく収めまっせ」というテレビ番組のキャッチ・フレーズはなかなか難しい。

  その訳は知れたこと。感情、理性、意志。義理、不義理、人情、不人情。利害損得。そねみ、恨み、嫉妬。偏見、蔑視。異常性格。大人の世界も、子どもの世界も、摩擦やいじめやハラスメントがある。

  俗に感情を四つに分けて「喜怒哀楽」という。しかしその方面の本を見ると実情はもっとある。感情と情緒と情動は別であるとして、その上で東洋的「五情」とは「喜怒哀楽+愛、悪」。東洋的「七情」とは「喜、怒、憂、恩、悲、恐、驚」。心理学的には「喜び、怒り、悲しみ、驚き、恐れ、など」という。

  「知情意」というと「知性、感情、意志」だろう。冷静な観察と類推と判断の理性があり、自分の持つ価値基準に照らして目標達成の行動を起こす意志がある。それらの心理要素が複雑に個人的に配合される。そのような個人が社会の中で押し合い、へし合いをする。

  「無理が通れば道理引っ込む」と「いろはかるた」にあった。子ども時代「無理」はなんとなくよく聞いた言葉だったが、「道理」は聞かなかった。だから分からなかった。いや幼い子には分からなかったろう。長じて分かりだす。誰もが納得する根拠。その道理を引っ込めるには無理を通さねばならない。子は我を張って泣き、大人は理のない無理をゴリ押しする。

  被害者が出る。そのような体験や見聞を通して、小生もここまで生きてきた。その過程で、小生の知らぬところで堪えられぬ苦しみや痛みに直面し、乗り越えるべく努力をしてもかなわず、自ら命を絶った被害者もあったはずだ。親や兄弟姉妹や友や教師も救いの手を伸ばせぬうちに、身近な場でこの世を去る人たち。

  きょうのテレビ・ニュースで、いじめによって自殺した子どもを持つ親たちが集まり、話を交換し合い、いじめを芽から摘み、根から根絶しようとするNPO法人の集まりがあったことを知った。事件が重なるうちに、個別の悲しみと憤りが広がり、連帯の輪ができた。

  「この種の事件は人間に悪の半面がある以上防げない」と、したり顔で言う人たちもいる。だから根絶という不可能なことは考えぬ方がいい、と。自分がいじめを受けた場合、じっと我慢するのだろうか。問題は根絶に向けて一歩でも、二歩でも近づく努力をすることである。集団の力でならそれが可能だ。社会の中で生きるという意味は、社会に自分の力をささげ、社会から自分を守る力を得るということだ。

  尼崎市で逮捕された「いじめ・殺人常習者」がいる。6人もの犠牲者が出た後で、犠牲者が窓から外の人に救いを求めたことが報道された。あるいは知り合いが救おうと玄関に行ったが、生前の犠牲者が事実を告げなかったことも報道された。救いの手はありながら、それを差し伸べられない。五情の「悪」は「無理」を通す。阻止するのは「愛」と「知」と「意」と「勇気ある連携行動」である。
(岩手大学名誉教授・元放送大学客員教授)


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