盛岡タイムス Web News 2012年 11月 7日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉306 伊藤幸子 兎に出会って

 木枯しとならんか光に降る木の実ぴしぴし受けて兎の菜を蒔く
                                          斎藤絢子

  平成11年発行の歌集「光と風と」には「あとがき」の前に「兎」と題した短いエッセーが添えられている。「兎に出会って四十年近くになる。小中学生の妹や弟が飼い始めたものが、いつか足なえの私のペットになった。餌を欲り兎が足を打ち鳴らすとき、立てぬ足は立ち上った。車椅子を降り、松葉杖をつき、必死で草とりに歩いた。〈わが子〉として五年余つき合った兎が急死した夜、つきあげるように歌が生まれた。兎は私に歌という杖を与えてくれた―」とある。

  作者は昭和14年、茨城県の日蓮宗のお寺さんの生まれで、四年生のとき右足の骨髄炎を病み、重い障害を持つ身となられた。ご両親とも歌人で敗戦直後から地域の人々と本堂での歌会が活発に行われていたという。作者も昭和40年ごろから全国紙の新聞歌壇に投稿。みるみる常連になられ30年余で入選歌は360余首を数え、一巻にまとめる運びとなられた由。さすが毎週厳しい選を通られた歌群だけあって胸を打たれる作品が揃っている。

  「日溜りへ音なく移るとび虫の身に固まりて冬の泥負う」飛び虫、枯れ草などの下に住む小さな昆虫がかすかな泥を負っていると詠む。「月明かる茗荷林の葉のゆらぎ小綬鶏の子のつと駈けあるく」地を這う視線には茗荷(みょうが)の草丈(たけ)も林のように見えると笑う。「筑波嶺は雪の降りしか里の陽に渡りくる鳥らたなびくがごと」万葉集東歌には「筑波嶺に雪かも降らるいなをかも」と白雪になぞらえた美しい歌がある。伝統と品格の示す風土性が光る。

  「父逝けば朝勤行の刻を告げ尾長らは軒の花ざくら揺る」昭和49年父上の逝去。私はことし盛夏、この欄で絢子さんの「病む父に朝勤行の四時告げぬうしおのごとくひぐらしの鳴く」を書いたのだったが、こちらは生前の父の勤行の時を告げるかのように、尾長らが桜の枝を揺するという哀切な内容。蝉も尾長も「行」を思わせるゆき届いた作品となった。

  「数百のあそぶ蜻蛉(あきつ)を揺すりあげ揺すりあげつつ萱群を刈る」「杖の跡の土穴くらきにこぼれいん栗のつぶら実思いてねむる」私の大好きな歌。晩秋の空を舞うとんぼ、「揺すりあげ揺すりあげつつ」の、できることをする喜びが伝わってくる。彼女の暮らしも歌も、決して停滞しない。杖がつけた小さな穴に、栗のつぶら実がこぼれ、やがて芽を吹く春がくる! 歌集にはさまれて兎を抱くポートレートが眩しい。
(八幡平市、歌人)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします