盛岡タイムス Web News 2012年 11月 8日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉28 菊池孝育 吉田愼也4

 「また吉田さんは株を募って農産会社を作り広大な土地を買って自分も作り、他の日系人にも貸して漁農両業によって生活の向上を計られた」

  自分で土地を買ったのは、モンクトンとナンバー2ロードの角地7エーカーであった。その後18エーカをリースし、合計25エーカを耕作して、ストロベリー、ラスベリー、ピー、ポテトなどの果樹野菜を栽培した。近隣の主婦たちをパートで雇用、販路はバンクーバーおよびシアトルの大都市であった。

  カナダ移住直後はフレーザー河の漁業で生計を立てていたが、愼也なりの永住の覚悟を決め、農業に進出したのであった。

  「スティブストンは漁業地ではあるが、漁業ばかりでは(ばかりの)浮き腰はいかぬ。スティブストンで御厄介(ごやっかい)になり、生活していても少し余裕があればその金で日本へ帰る、他(所)に行くというは、全然不心得である。ここに落ち着いて、永住の方針を立てていかなければ、万事がよろしくない。私は永住の覚悟をきめて腰を据え、農業を始め、同時に魚の仲買をしている。この国生まれの(日系)青年は土着であるから、私はそれ等の青年に知己を得た気がする。私は先輩に当地に止まるよういくら勧めたか知れないが、帰った(帰国した)人が多い」

  この一節は「日本人農業発展号」誌の取材に愼也が答えたものである。日本人の漁業は、好不漁や季節に左右されることが多く、豊漁を求めて西海岸一帯を転々とする漁者が多かった。加えて 日本人移住者の大半が、稼げるだけ稼いだなら、さっさと帰国するという出稼ぎ型であった。定住しようとしない日本人に対して、現地のカナダ人は不審に思い、やがて不信感を抱くようになる。愼也はそのことを憂えた。

  愼也は若い二世たちを集めて、定住と現地への同化を説くのである。その一環として夜学校で英語教育と同化教育を実施した。

  スティブストン農産会社は愼也の発起により、65人の漁者の賛同を得て、資本金10万jでスタートした。設立の目的は、BC州政府による漁撈ライセンスの削減によって漁業から追われた漁者の救済にあった。愼也は次のように記している。

「日系漁者ライセンスの削減は(、)峻烈なる圧迫で二十年、三十年と馴れ親しんだ生業を奪い、家族の扶養にも事を欠きややもすれば路頭に迷わしむるような惨憺たる非人道的なる仕打ちであった」

  BC州政府は漁業資源保護を名分として、実際は日系漁者をフレーザー河沿岸漁業から閉め出そうと意図した、日系人狙い撃ちのライセンス削減策であった。愼也を団体長とするスティブストン漁者慈善団体は連邦政府および大審院に提訴した。愼也はさらに記している。

「他方漁業ライセンスを喪失したものを路頭に迷わさしめず、これに対して生活の道を講ずる必要が起り、この要求に応ずるためにスティブストン農産会社なるものが組織せられたのである」

  そしてその後、農業を通じて日系漁者の定住促進を計ろうとする愼也の意図も明確になってくる。


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