盛岡タイムス Web News 2012年 11月 11日 (日)

       

■  〈ジジからの絵手紙〉23 菅森幸一 三角ベース

     
   
     

 日本を管理していたGHQ(連合国総司令部)から戦争や争いに関する一切を禁止する指令が出た。学校では武道がなくなり、映画やラジオでも戦う場面はカットされ、ジジたちの遊びの主流だった「戦争ごっこ」や「ちゃんばらごっこ」は野球が取って代わることになった。

  しかし、何しろ道具がない。ボールはビー玉を布で包み固くひもを巻き付けたものを使い、バットは適当な棒切れ、グローブなどは厚めの布切れを縫い合わせた母親苦心の作を手にした幸せ者もいたが、大抵は古い軍手で代用した。

  当時、盛岡には「仁王田圃」や「長町田圃」という名称が残っていて、町の中には田んぼがアチコチにあった。稲刈りの終わった田んぼは絶好のグラウンドで、二塁ベースなしの「三角ベース」というルールが一般的だった。石や木片や瓦などをベース代わりに置くのだが、後始末をサボると、えらくどやされたものだ。

  どこの家でも子どもが多く男の子でも子守りをするのが普通で、赤ん坊を背負っている者が優先的にキャッチャーになった。打順や守備位置はジャンケンで決め、極めて民主的だったと思うよ。


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