盛岡タイムス Web News 2012年 11月 26日 (月)

       

■  〈幸遊記〉99 後藤新平の演説・政治の論理化

 15年の運動が実り、ついに盛岡天文台ができることになった!と喜びながら飛んできた親友で医師の、八木淳一郎さん(盛岡天文同好会)の手には何故か、以前から持っていたという赤瀬川原平の写真集「正体不明」。表紙には国会議事堂の塔部写真。実に面白い!

  その直前には俳人の菊地十音さんから「政治の倫理化・後藤新平」という演説レコードを頂いた。大正末期にSPレコードに吹き込まれ、のち水沢市(現・奥州市)が、20センチLP盤に復刻したもので、早速聴いてみたら、翌日には現国会で衆院解散発表ときた。凄いタイミング!と僕はその後藤新平の演説を、今度立候補する政治家と国民に伝えたいと、これを書きだしている。

  「政治家が金の力第一義となれば、現在の如く俗悪な政治。これに反し、心の力第一義となれば、政治は正道に進むことになり、これによって国民生活の改造、又は改善となる。これが私の首唱する政治の倫理化」「我が国の現政治に対する不満は果たして誰の責…。人に責むよりも各人まず自ら省みるべきものと信じます」。

  当時も日本の政党を見て、国民は、あれは国家の公の政治団体ではない利権株式会社、我利我利亡者の寄合世帯であると言ったそうだが、彼は「政党がただ頭数を問題とし政権獲得のみを目的として没頭するが故に、選挙は国民政策、国民生活の大策から離れて、手段を選ばぬ政権争奪をなすのみを目標とするがために、我党内閣などという珍妙な言葉が発明され、その脱線の末、横車を押し廻すような結果に陥る」と語り。「国民一人一人が同じ国家を体現しておるということ、故に国民は有機的に協同して一心同体となる国民精神力」の大切さを訴えている。

  後藤新平(1857〜1929)水沢生まれ。明治時代愛知病院に勤務。板垣退助の負傷の手当てが縁で内務省衛生局に転じ、ドイツ留学し帰朝後、内務省衛生局長となる。41歳で台湾総督府民政局長となり同郷の新渡戸稲造らを採用。49歳で満州鉄道総裁。63歳で東京市長。65歳少年団連盟総裁。66歳内務大臣として関東大震災の復興にとりかかり帝都復興院を設置。68歳大正14年(社)東京放送局設立(現・NHK)し、さらなる政治の倫理化を展開した。
(開運橋のジョニー)


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