盛岡タイムス Web News 2012年 11月 28日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉149 三浦勲夫 閉伊街道今昔

 区界(くざかい)は平成21年末までは下閉伊郡川井村区界だった。22年1月1日から宮古市区界となった。盛岡市の東端と境界をなす峠にある。国道106号が山間を東西に走る。新たな川目トンネルは旧閉伊街道に連なる。ここより東側では川が東(宮古)に流れ閉伊川となり、西側では西(盛岡)に流れ簗川となる。区界は陸と水の境である。

  春、夏の季節は遅く来て、秋、冬は早く来る。11月7日が立冬だったがその前の週あたりから秋の葉が鮮やかな綾模様を広げた。「花か葉かはたは炎か山の秋」。一週間ごとに通る山中である。今年は暑い夏が続き、遅れ気味の紅や黄の葉が各地で待たれていた。

  しかしその一週後に、山道は早くもみぞれに濡れた。道路は黒く湿り、畑は雪で覆われた。濡れた木の葉や幹が哀れだったが、落ち葉にはまだ早かった。紅葉の見ごろは続いた。「みぞれにももみじ耐えたる峠道」。

  しかしもみじはその2週後にはかなり落葉していた。冬が近づき、日暮れもさらに早まり、午後4時には106号はかなり暗かった。バス路線にときおり現れる集落も電燈が消えたままで、冬を待ち構えて静かだった。「枯れ葉散り山の国道夕闇にのまれ尾灯の列のみ赤し」。

  その日、ちょうど国会では衆議院が解散した。宮古から盛岡への帰路、暗い山道と集落が黙していた。やがて選挙戦が始まる。候補者は山間の村にもやってきて政見と支援を訴えるだろうか。政見放送は流れてくるだろう。東に走れば太平洋沿岸の被災地に続く。被災地復興予算が復興とは無関係の事業に割り振られていたことが判明した。ひどい話である。「衆院は解散師走総選挙されど被災地復興遅し」。

  地元選出の議員たちはどれだけ真剣に被災地を訪れ、惨状を胸に刻んだろうか。民主党王国であった岩手県でも、党が分裂した。自民党は政権を奪還しようと意気込んでいる。岩手県ではどのような結果になるだろうか。被災地の農林水産業、商工業、その他の産業、雇用、町の復興、仮設住宅生活の将来など、きわめて現実的な争点が選挙を通じて真剣に問われなければならない。

  師走の選挙戦中も自分はバスで週に1回、盛岡―宮古間を往復する。山道は本格的な積雪期に入り、雪のない海辺の被災地は強風を受ける。しかし明るい陽光は変わらずに被災地に注ぐ。対照的に後背地である北上山地は水墨画の様相を呈して押し黙る。落葉樹、針葉樹が冬を越す形に入る。「水墨の山の林は冬も生き」。

  106号を両側から挟む山腹が切り取られて険しい角度でそそり立つ。広い宅地や畑が取りにくい地形である。川が谷間を流れ、国道と鉄道が並行して走る。「籠の鳥」「枯れすすき」などを作詞作曲した鳥取春陽(1900―32)は新里村(現宮古市)の出身であり、江戸時代に閉伊街道や沿岸道を開いた鞭牛和尚(1710―82)は和井内村(現宮古市)の出身であった。北上山地の人たちにとって仕事の場は農業などを除けば、宮古であり、盛岡であり、仙台、東京である。その意味でも交通網の充足が求められる。豊かな山林が滋養豊かな川を作り、それが資源豊かな海を作る。復興は被災地に隣接する山間地も視野に入れなければならない。
  (岩手大学名誉教授・元放送大学客員教授)


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