盛岡タイムス Web News 2012年 12月 13日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉33 菊池孝育 吉田愼也9

 「吉田さんが逝かれて、早十年近くになるが、今回リッチモンドの百年祭に際して、同地区に功労のあった人の名が街名になることでヨシダ・クレセントの命名は、故人となられた吉田愼也氏はもちろん、先年同区に新築のジュニア・ハイスクールに本間留吉氏の名を付けたことと共に、日系人先覚者の名がリッチモンド地区に永久に残されることは、私たちに取っては大きな誇りであり、また喜びである。/ウ市 平山一郎」

  「大陸時報」紙上の平山一郎の吉田愼也についての記事は以上で終わる。

  幕末から明治にかけて、水沢は多くの優れた先人を輩出した。高野長英、斎藤實、後藤新平などであり、愼也の同世代では郷古潔がいる。当時の日本を代表する先人であったと言えるであろう。しかし、水沢は伊達の支藩であったせいか、県都盛岡の若い世代にはなじみが薄い。ことにカナダ移民の先駆者であり、日系人社会に大きな足跡を残した吉田愼也の功績はほぼ埋没している。残念である。岩手の先人で外国の正式な地名になった者は、吉田愼也を置いて他にいるだろうか。

  カナダ、BC州リッチモンド市スティブストンにはNO1・RDとモンクトンの近くにYOSHIDA・CRT(ヨシダ・クレセント)がある。バンクーバー国際空港から車で20分(3・5`)ぐらいの至近距離である。しかしバンクーバー、ビクトリア、バンフなどを訪れる数多くの岩手県人観光客があるけれども、スティブストンの「YOSHIDA・CRT」を目にする人はほとんどいない。明治、大正、昭和にかけてカナダ日系社会とカナダ沿岸漁業史に画期的な足跡を残した点で、愼也の右に出る県人はいないのである。

  「歩を狂(?)げて漁村スチブストンを訪問せん乎體?肥大にして温厚篤實の一紳士を見む、之れ現漁者團體長吉田愼也君と爲す、君幼少より大志あり齢僅に十七、學生々活の中途北米合衆國に渡航す越へて三年にして英領加奈陀の地に轉ず、爾來主として水産業に從事し奮闘生活茲に十數年、近年米國漁業家と相聯洛し魚類仲買業を經營す、傍ら農園事業の經營を爲し利得する所尠からず、君資性頴悟俊邁にして正邪併呑の雅量を有す、常に公共事業に盡瘁貢献する所尠からず彼の漁者團體重役として多年の當選を見る叉宜也、夫人容姿艶麗貞淑を以て著聞す、君の愛賞措かざるも豈に偶然ならんや」

  以上、大正期にカナダで発行された「加奈陀在留同胞總覧」の一節である。愼也の風貌をよく描写している。当時のカナダでは東洋人蔑視の風潮はごく当たり前であったが、愼也だけは別だったと言われる。道で愼也と行き交う白人は、彼に道を譲りながらあいさつしたとされる。これは今でもスティブストンに残っている愼也の伝説である。愼也の言動には古武士の風格があった。新渡戸稲造の「武士道」が北米大陸の白人社会に広まりつつあった折柄、日本の侍を見直す機運が、白人知識階級に湧き出ていた。ことにBC州は比較的長く英国植民地としてとどまっていた関係上、英国のナイトにも共通する武士道精神を高く評価していたのである。


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