盛岡タイムス Web News 2012年 12月 15日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉293 岡澤敏男 「聖衆来迎」の幻想

     
   「雨ニモマケズ手帳」の131n、132n(「雨ニモマケズ手帳」復元版より)  
   「雨ニモマケズ手帳」の131n、132n(「雨ニモマケズ手帳」復元版より)
 

 ■「聖衆来迎」の幻想

  前回の末尾で「聖衆」の語を注目したのは松岡幹夫氏であったが、それを尾崎氏と誤記したので訂正しておきます。松岡氏は「雨ニモマケズ手帳」の一三一・一三二nに記帳された「朋らいま羅漢堂にて」に始まるメモの最終行に、「あゝ聖衆来ますに似たり」とあるのに注目した理由をたずねてみます。

  この両nに書かれているものは、「両頁を通じて一篇の詩であり、一節(一連)四行全四節の五七調の文語定型詩である」(「雨ニモマケズ」新考)と小倉豐文氏が述べているが、正確には前回のコラム欄にあげた文語詩「涅槃堂」(「下書稿」二)の草稿だったことを指している。小倉氏は「詩の内容からも、前述のような題名からも、この詩は賢治が病床で青年時代に報恩寺で参禅した時代を回想し、幻想したところから生まれたもの」と指摘する。この手帳の前の一二九n・一三〇nを開くと「報恩寺訂正」(一二九n)の大きな五文字が目に飛び込んで来て、たしかに病床の賢治が「報恩寺」をめぐる回想にあったことを知らせます。この「報恩寺訂正」とある両nにあるメモには、

  たそがれ思量惑くして、
     銀屏流沙とも見ゆるころ、
  堂は別時の供養とて、
     盤鉦木鼓しめやかなり。

  とある一連が七五調四行の文語定型による3連詩稿の草稿と見られ、報恩寺僧堂で仏教講義を聴講した時の作と見なされる。またその頃に詠んだ報恩寺に関する次の短歌もある。

  逞しき麻のころもの僧来り老師の文をわたしたりけり
  いまはいざ僧堂に入らんあかつきの般若心経夜の普門品

  「般若心教」も「普門品」(『観音経』法華教の観世音菩薩普門品第二十五)も禅宗や諸宗派で読誦される経典だという。病床でこれら報恩寺に関する短歌のテーマを訂正しながら文語詩稿に推敲したことが「報恩寺訂正」だったのではないかと小倉氏は推察する。これら一二九n〜一三二nにあるメモは病床の賢治が報恩寺をめぐる回想にとらわれていたことを意味し、しかも「雨ニモマケズ手帳」一六六nのかなり終りに近い頃なのでなにか切迫したものを感じさせます。賢治にいったい何があったのか。

  小倉氏は「一三二頁の終りから二行目の約一行の空白は何故か、今の私には想像がつかない」と述べているが、この「空白」こそ病僧(賢治)の心象に来迎するナゾの菩薩たちの予感が潜んでいるのです。終りから二行目とは「座禅儀は足の音にまじり/衆僧いま廊を伝へば」のことで、約一行ほどの空白があって最終行が「あゝ聖衆来ますに似たり」と書いているが、小倉氏は「聖衆」とある仏語の意味に首を傾げているようにみえます。『日本仏教語辞典』(平凡社)によれば、「聖衆」(しょうじゅ)とは「聖者衆の意で、仏・菩薩らの集まりをいう」とあり、「人の臨終に際して、極楽浄土から阿弥陀如来と諸菩薩が迎えに来ることを〈聖衆来迎〉という」と補説がしてある。「聖衆来ますに似たり」とは、座禅儀が終って廊下を伝ってくる衆僧が、あたかも浄土から阿弥陀如来と諸菩薩が「来迎」するようだ、と幻想したのです。一行あけはその発想切替えを予告する空白だったとみられます。



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