盛岡タイムス Web News 2012年 12月 20日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉34 菊池孝育 吉田愼也と郷古潔

 日本の中国大陸侵攻の拡大により、国際的孤立が鮮明になりつつあった昭和14〜15年頃、郷古は「新岩手人」25巻、第2号にカナダの愼也について語っている。二人の親密な関係を知る上で貴重な資料である。郷古は欧米各国での航空機産業視察と商取引の途上、スティブストンの愼也を訪ねた。当時の彼の肩書きは「三菱重工業常務」となっている。

  「日本を出發したのは去年の九月四日、カナダのバンクーバーの近くには、水澤小學校時代からの友人吉田愼也君がゐるので、日本を發つ前に手紙を出して置いたら、バンクーバーに船が着くと一緒に出迎へに出てゐてくれた。外國で小學校時代の友人に逢ふなんて、こんな嬉しいことはあまりないもんだ」。

  郷古は愼也に会う喜びを率直に述べている。愼也は盛岡中学、一高、東大(法)、三菱重工重役という超エリートコースを歩んだ郷古を、事あるごとに自慢していたという。

  「吉田君は水澤の小學校を出ると間もなくアメリカに渉り、バンクーバーに近いステベスト(スティブストン)といふ處に腰を下してもう四十年近くなるのだ」。

  愼也の初渡米は明治33(1900)年であるから、郷古の思い出は昭和14〜15年頃のものということになる。

  「吉田君が渡米した動機なんかは、郷里に大變關係が深いので少し話して置きたいと思ふが、今日本に歸って閑地に在る水澤出身の下飯坂さんの兄弟は岩手縣人としては恐らく一番早く渡米して活躍した人達で、弟の武次郎さんは、郷里に早く引揚げて、小學校で英語を教える傍ら、頻りに米國生活の講話をされたものだから、當時の水澤の少年の間(に)は、渡米熱が澎湃として起り、吉田愼也君はじめ當時渡米した水澤出身の人達は、大概この下飯坂さんの影響に依るものだ」。

  下飯坂武太郎、武次郎兄弟(既述)は県人渡米の先駆者であった。特に弟の武次郎はアメリカから帰国後の明治32年、「私立水澤英學會」を創設して、英語教育と北米事情を講じ、水沢の青少年のアメリカン・ドリームをかき立てた。その頃、郷古は盛岡中学を終え、一高生として上京していた。愼也は小学校高等科を終えたあと、横浜の倉庫会社に勤めながら夜学で英語を習い、渡米の機会をうかがっていた。両者とも直接武次郎の指導は受けなかったけれども、間接的にはかなりの影響を受けたものと推察される。

  「吉田君はカナダに渉ってから彼地の漁業の振はないのに氣付き、バンクーバーの近くを流れてゐるフレーザー川の鮭漁に眼を注ぎ、斯業を創めてから益々發展して、ステベストの小學校では日本語を教へるまでに在留邦人は發展したが、邦人が發展するに從って、米國(カナダ)政府の壓迫が陰に陽にひどくなり、今日では昔日の感はないが、ともかく鮭漁は益々盛んで、今度行ったときも、吉田君の堂々たる西洋館でフレーザー川の鮭を御馳走になって來た。なかなかうまかった」。

  この時、二人はスティブストンの「吉田御殿」で、夜を徹して語り合ったとされる。


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