盛岡タイムス Web News 2012年 12月 22日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉294 岡澤敏男

 ■仏の慈悲による救済

  この「聖衆」の幻想を、松岡幹夫氏は晩年の賢治が「自分が考えてきた実践の方向性について何らかの深刻な反省を迫られていた」と考察し、「雨ニモマケズ手帳」のメモには「仏の慈悲に救済されるべき、あるがままの一個の衆生」として「卑小な自己を肯定する思想」が目立ってきたと指摘し、その一つと注目した「聖衆」の語を、臨終の際に阿弥陀仏の使いとする念仏行者ととらえ、「他力門的な色彩のつよいもの」と解釈しているのです。恩田逸夫氏も「雨ニモマケズ手帳」が記帳された時期は、法華教への信仰の強度を加えてはいるが、国柱会時代や羅須地人協会時代のように衆生救済の実践者としての菩薩道に対しているというよりは、病気再発の失意のこの時期においては、「むしろ仏の慈悲に救済されるべき、あるがままの一個の衆生として、法華教のあたたかい教えに慰められているのだと思われる」(「塵点劫の歌」『四次元』第一四巻第一号)と卑小な自己(一個の衆生)を肯定する思想を指摘している。しかし「仏の慈悲に救済」といいながら「法華教のあたたかい教えに慰められている」と解釈するのは、「聖衆」(阿弥陀仏の使いとする念仏行者)に因縁づけながら「仏の慈悲の救済」を考察する松岡氏とは著しい相違がみられます。すなわち松岡氏は浄土門の「慈悲」の立場で考察するのに対して、恩田氏は「仏の慈悲」としながら「法華教のあたたかい教えに慰められて」と聖道門の「慈悲」の立場で考察しているように見受けます。親鸞は、聖道門の慈悲は有限者の立場に立っているから「この慈悲始終なし」(首尾一貫しない)と批判し、浄土門のように「ひたすら念仏すれば、首尾一貫した大きな慈悲が得られる」と『歎異鈔』第四章で述べているが、はたして賢治の境地はどちらの立場だったのか。

  さらに松岡氏は「手帳」の一四九・一五〇n、一五五・一五六nに十界曼陀羅の要文である「南無妙法蓮華経」の題目とともに、「従地湧出品第十五」の地湧(じゆ)の四菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)の名が記されているなかで、いずれにも「安立行菩薩」(あんりゅうぎょう)の名前だけは連署(二回書く)されており、とくに一五六nの連署には「安立行」とだけ記帳されていることに「安立の境地を追い求めていた」と考察している。「安立」のサンスクリット語は「スプラティシュティタ」で「確固に・堅固に」という意味だといわれる。それを鳩摩羅什(くまらじゅう)が「安立」と漢訳したもので、「安心立命」の語彙もあり「信仰によって安らかな境地に立つ」という意味にもとられる。賢治の「安立行」とは、そうした「境地」を追い求めていたと松岡氏はみるのです。また小倉豐文氏は安立行菩薩の連署について「その時の賢治が欣求していた心境」(「雨ニモマケズ手帳」新考)」だと説明しています。「欣求」(ごんぐ)とは仏教語で「よろこび願い求めること」の意であるが、喜んで浄土に往生するという「欣求浄土」(太平記二〇)の補注もあり、「欣求していた心境」を「仏の慈悲に救済されるべき」心境という意味にとれば小倉氏の「欣求」の意味は、この「手帳」一三二nにみられる「聖衆来ますに似たり」の記帳や再度の「安立行菩薩」連署に注目して、他力救済を祈り願う真宗的精神性の境地にあったと考察する松岡氏に通じる「欣求」だったとみられます。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします