盛岡タイムス Web News 2012年 12月 26日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉313 伊藤幸子 あれから四十年

 きみまろが「あれから四十年ッ」と語るとき沼の藻のごと女らさやぐ
                                  栗木京子
 
  まっ赤なタキシードに金色の扇をかざして、漫談家の綾小路きみまろさんが舞台中央まで出てくるとやんやの喝采。ほめたりけなしたり、さんざん客をいじり回すのだが、あやういところでひともわれもホッと救われるという形のステージを作り上げる人。わけてもこの数年、初老の夫婦に的をしぼった「あれから四十年!」が大ブレークした。小腰をかがめてひざに手をのせ、アゴをつきだして歩くさまはオーバーにもせよ自分の姿勢の悪さを反省させられて、一人歩きの時はつい周囲を見回し、背をのばす。

  「あれから四十年」のフレーズは、まるで目の前に採りたての夕顔をごろんと放り出されたような強烈な質感を指し示す。「きみまろの漫談たのし『抱きしめて』が『ドア閉めてッ』に変はる四十年」ああ、あの時はと甘いとろける声のエコーが降るばかり。それなのになんという歳月の残酷さ、愛憎格差の激しさ。これでもかこれでもかと具体例をあげて攻めまくる笑いのマシーンにふと、「奥さん、あんたのことですよ!」と言われてハッとする。

  「食べて飲み笑ひさざめくをみならの肩の厚みをわれも持ちをり」同感。昭和29年生まれの栗木さんはまだお若いが、年齢とともに肉置(ししおき)が豊かになってきた私など、まさに身の置きどころもない。男性なら胸板の厚みは隠れた魅力とも聞くが女の肩の厚みはどうであろうか。

  「きみまろのCD聴けば爆笑のなかに携帯の着信音まじる」舞台でも講演会でも開演前に必ず「携帯等は電源をお切り下さい」と注意されるがそれでも鳴りだすことがある。また家族に迷子防止のために持たされたケータイの、止め方がよくわからなかったという老人の笑い話もある。暮らしの中の小道具が期せずして時代背景を映し出す。

  きみまろさんの叫ぶ40年前は、こんなにも自画像を見るような笑いが横行してはいなかった。他人に笑われないようにという見えざる規範が常に心を律していた。

  平成の世にも来年は四半世紀を数える。先ごろ届いた短歌総合雑誌はみな2013年新年号だ。その中の「歌壇」新春詠の「四十年」と題した栗木作品16首に感動、共感、大いに笑った。思えば去年3月に私たちは「中学卒業50年同級会」を計画中に震災で中止。もうすぐ2年、来年こそ会って笑って食べて飲んで、「あれから50年」を語りあいたいと思っている。
    (八幡平市、歌人)


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