盛岡タイムス Web News 2013年  1月  3日 (木)

       

■  〈口ずさむとき〉314 伊藤幸子 「どっこも悪くない」

 粲々と降りつぐ雪のめでたさよあたらしき年の第一日を
                              宮英子

  平成25年、癸巳(みづのとみ)の新しい年が訪れた。震災からまる2年、新政権発足の年明けである。願わくは四海波静かなれと祈るのみ、降りつぐ雪に新しい足跡を記すように、私は今年の読み初めの一冊を手にとった。

  宮英子さんの「青銀色(あをみづがね)」昨年11月発行の95歳の第十歌集である。「年ながくわがひとり守(も)る柊館(ひいらぎやかた)古木につどふ白き花々」昭和61年宮柊二先生亡きあと26年、東京三鷹におひとり住居。ひいらぎは古木になると葉のトゲも丸味をおびて、群がって咲く白い小花がふんわりと芳香を放つ。ひとり暮らしの不安もなくはないけれど、この花の香に似た端正な暮らしのたたずまいに、齢を重ねる尊さを教えられる。

  「高齢の我儘なれど許されよ。見たい行きたい。見ようよ、行かうよ」かつては80代ごろでもシルクロードやアジア各国、また娘さんの住むフランスにも毎年行かれて豊かな佳什(かじゅう)を見せられた。「古物商の青銀色(あをみづがね)のガラス瓶なみだ壺とぞシリアを旅して」はそんな得がたい旅のひとこま。集名にもなった愛らしいガラス器の写真が添えられてある。

  「迂闊にも長く生きしは我が器量ならず日々が連続偶然めいて」ととりたてて長寿の秘訣などにはふれず「医者通ひだけの日常変化なれど『どッこも悪くない』と診察」に笑った。いいなあ、九十歳すぎても「どッこも悪くない」なんて。「うかつにも長生きして」、「なに、偶然のようなものですよ」とほほえまれる姿。

  「九十歳越えてもまだ生きるのかい、詰(なじ)る夫のこゑいづこより」「充分に生きたりこのあと如何せむ思へど今はおなかが空いた」この二首を並べてみると、さながら現実の夫婦の会話みたい。夫は「まだ生きるのかい?」と揶揄(やゆ)気味で、妻は「このあと如何せむ」とは思えど孤独地獄に陥ることなく「おなかが空いた」と切りぬける。昭和初期東京生まれの男子中学生のモールス通信特訓を書いた手記を読んだことがある。「イトーがイ、路上歩行がロ、ハーモニカがハ…オナカガスイタ」というものである。戦時下、必死で切実な緊張感をストンと落とす呪文のようでなんだかおかしい。

  「今日はよき為事をしたり忘れゐし古歌のことばを調べととのへて」「新しく冬となりたり栗羊羹うすく切りゐるほどの仕合せ」巻末近い作品。あとがきに「生誕百年の柊二へ贈る私の最後の歌集」と記される。ことしは年女、百寿の先までも新しい境地を期待したい。
    (八幡平市、歌人)


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