盛岡タイムス Web News 2013年  1月  14日 (月)

       

■  〈幸遊記〉106 照井顕 菅原正二の一関ベイシー

 一昔ぶりに同業の先輩、一関の「ベイシー」に行って来た。この10年、2〜3年に一度は訪れているのだが、あうんの呼吸に至らず、行くたびシャッターが下りていただけのこと。チョット昔のお嬢様たちに、「ベイシーに連れてってくれませんか」と、言われていたことから10人ほどで、見聞に行ってきたのだ。今回はそのため2度も電話を入れてのこと。

  ドアを開けるとマスターは笑顔で迎えてくれた。彼の肩越し、ピアノの上には真紅のバラが一輪、リンとした美しさで立っていた。入口レジカウンターの上には彼、菅原正二さんの原点ともいうべき「HOLLYWOOD」のミニボード。それは彼が1967年3月、早大・ハイ・ソサエティ・オーケストラを率いて初のアメリカ演奏旅行をしたカルフォルニアで、ハイソがTV出演した時のメダルのような記念品。その下に掛けてあるオブジェは、かつてトランペッターのハリー・ジェイムスに憧れて、トランペットを吹き始めた時に、ハリーと同じモデルのペットを買ったのだったが、自分には合わないと、そのまま飾りにしてしまったのだ。

  菅原さんは42(昭和17)年5月23日一関生まれ。父が聴いていたSPレコードに興味を持ったのは小学生の時、ジャズには一関一高時代。大学ではハイ・ソサエティ・オーケストラのドラマーとしての活躍が有名だが、彼は早大文学部の卒。だから今も昔も文筆活動にいとまがない。朝日新聞岩手版への「物には限度、風呂には温度」、JR「大人の休日倶楽部」への「アズタイム・ゴーズ・バイ」の連載などなど忙しい日々を送る。

  かつて「ジャズ喫茶ベイシーの選択」という全国版の本が出た時、僕は中学卒業後10年間クリーニング店で働いたことから「ジャズ喫茶ジョニーの洗濯」という地方版の本を出版した思い出がよみがえる。彼は僕と生まれ年も店の年齢も5コ先輩。しかも僕は一関の隣平泉の出身だから、ベイシーが一関に開店した70年以来、ずーっと、先を行く、彼の巨大な背中を見ながら、僕はジャズでも別の道を歩みながら過ぎ去る光景を見てきたという感じ。

  87年、ベイシーの菅原さんがジョニーの僕に語った「音楽に向えば音は大きくなる。逃げようとすればうるさくなる」「音はその人のスタイルだよ」は、今も忘れずにいる。
(開運橋のジョニー店主)


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