盛岡タイムス Web News 2013年  1月  23日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉317 伊藤幸子 ページワン

 「ページワン」父の笑顔が浮かびたりあの大晦日は何十年前
                              千田正平

 1月12日、盛岡市立図書館にて恒例の新春短歌会が開催された。あちこちで御慶(ぎょけい)を交わす和やかな雰囲気、着物姿もみえて正月らしい華やかさに包まれる。この世界も高齢化が進み出席者が減る傾向にあるが、詠草プリントに従って全員発言が年の始めの親睦を深め、選者が講評を述べて学びの度を深める。

  昼すぎには本日の天地人賞も決まり、参加者互選の高点歌賞や選者賞も決まって表彰された。入選作はすでに各新聞等で取り上げられたが、私は、この「ページワン」の正月のトランプ遊びに注目した。しかし何十首と並ぶ詠草集で、各自好きな歌を5首投票するのだが、この作品には点が少なかった。まさか「ページワン」を知らない人はあるまいと思うが、家族で遊んだ風景が忘れられているのだろうか。現代では家族が声はりあげて「ページワン!」なんて叫ばないのだろうか。

  わが家では正月中トランプやかるた取りに興じた。手札がどんどん減っていって、二枚になった切り札が「ページワン」であり、納めの札を何と言ったか。うちの仙台の孫は「ノムサイ」と言う。私は子供のころ「ノーサイ」や「ストップ」と言ったように思う。

  厳粛なる短歌会の果ててからそのことを言うと、作者の千田さんが「ノーサイだよ。ノーサイドのことだよ」と教えてくれた。そういえば「もう、ノーサイドにしましょうよ」と言って総理の座に座った人がいたっけ。

  「あの大晦日は何十年前」、長く寒い冬の夜の遊び。トランプよりも紙質も悪かったが、十二支の絵札もなつかしい。また少し固くて厚味のある花札の手ざわり。干支や季節の花暦を遊びの中から感じとり、大人の会話を背のびして聞きかじったころが思われる。「花のおいらん」だの「それは六日のあやめだよ」なんてタイミングよく言ってみたくてたまらなかった。欲ばると無情の雨流れの番狂わせだ。

  私の大切にしている本に松田修著「日本刺青論」があるが、その表紙に鮮やかな花札が使われている。松、桐、坊主の二十点札、猪鹿蝶が居て日本の祝祭的世界が描かれる。まつろわぬ者たち、異端史研究の第一人者の追い続けた記紀以来の「刺青」の歴史。それは何か秘密めいた闇の精神史を思わせてひきつけられる。

  花札で小学生の孫のまちがいやすいのは萩と藤、松と柳の形状。私もいつか「祖母の花札」と、彼に思い出される日がくるだろうか。
    (八幡平市、歌人)


 


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