盛岡タイムス Web News 2013年  1月  24日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉38 菊池孝育 日本人強制収容2

 日本人種(Japanese race)であるという理由だけで、カナダ市民権取得者であろうがなかろうが、全員拘束され、自由を奪われ、財産を収奪されたのである。カナダでは当初、日系人の財産はカナダ人管財人によって保管されることになっていたが、実際は所有者の同意なしに二束三文で競売され、売買代金は日系人の強制移動および収容費に充てられたとされる。理不尽な処置であった。しかも日本人種を狙い撃ちにしたものであった。カナダにとってドイツもイタリアも日本と同様、敵国であった。しかしながら、ドイツ系カナダ人も、イタリア系も、拘束もされなければ財産も没収されなかった。この事実は、当時のカナダ社会に抜きがたい人種的偏見が存在したことを物語る。それは庶民レベルの感情的反発にとどまらず、州政府から連邦政府段階までの構造的偏見であり、差別であった。

  近年のカナダの資料にも「第二次大戦中、日系カナダ人の強制移動と収容の政府決定は、不当でしかも人種的偏見に基ずく行動であった。彼等(日本人)が十九世紀後半にBC州に移住して以来、長い間抱き続けてきた彼等に対する人種的偏見による敵意の結果であった。つまり日本が真珠湾を攻撃する前の人種差別観が、カナダ政府をして日系人の強制移動と収容という苛酷な決定を取らせたのである」という一節があり、日系人強制収容の根底に人種的偏見があったことを率直に認めている。

  人種差別は地球規模の「いじめ」である。子ども社会のいじめと違って、新参者であり、身体的経済的弱者であり、しかも異人種、異文化の少数者(minorities)であったアジア系、アフリカ系人種に加えられることが多い。かつて日本国内でも朝鮮半島出身者や、中国大陸出身者に対する深刻な差別や偏見があった。それらの事実を筆者は今でも記憶している。

  1972(昭和47)年、BC州内陸部のグリーンウッドで、ある日系人のもとにお世話になった。確か、浜西政吉氏という90歳を超えた一世だったと記憶する。中年の娘と二人暮らしであった。息子たちはみな都会に出て独立したという。浜西氏は自分の半生を訥々(とつとつ)と語ってくれた。以下はその内容である。

  氏は和歌山県からスティブストンに移住した。明治の終わりだった。当時のスティブストンの日本人の9割は和歌山県人であった。岩手県人は団体長の吉田愼也のほか数人だけであった。日本人は体が小さく、英語ができなかったから土人(カナダ先住民)や支那人にまでばかにされた。毎日朝から晩まで働いた。やっと自分の船と家を持てたのは昭和十年頃だった。人並みの暮らしができたかな、と思ったとたんに戦争(太平洋戦争)が起こった。また犬畜生同然の境遇に戻ったのだ。毛唐(一般に白人を指す)どもに船を取られ家を取られ、おまけにへースティングス・パークの馬小屋に収容された。反抗するとアングラー(捕虜収容所)に放り込まれるからおとなしくする他はなかった。馬小屋に2、3カ月入れられて、ここグリーンウッドに連れて来られた。廃鉱跡のバラックに収容され、牛馬のように働いて今日に至った。

  浜西氏は「毛唐」という言葉に、白人と白人体制の国家に強い不信感をにじませていた。

 


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします