盛岡タイムス Web News 2013年  1月  28日 (月)

       

■  〈幸遊記〉108 小野寺英二の白いバラ赤い薔薇

 「テルイは、アテルイのような人。アテルイはテルイのような人」というために英語の文法を持ち出してから、カンパイの音頭をとった小野寺英二さん(75)。盛岡駅前のホテル・ルイズで、この2013年1月23日(大安)の「開運橋のジョニー・オープニングパーティー」。

  頭の中には「白いバラ」胸の中には「赤い薔薇」をずっと咲かせ続けてきた彼。出会ったのは、かれこれ30年近く前になるだろうか。

  その昔、盛岡開運橋通のカワイビルにあった「どんぐりコロコロ」という店で、そこの客だった小野寺さんと出会った。その夜、その店の主人で、シャンソン歌手の早坂孝幸(公公)と3人で店がはねたあと、やはり当時八幡町にあった「一番」というラーメン屋へ出掛け、そのあと、陸前高田へ帰る僕が逆方向の青山町まで、小野寺氏を送っていったことから、彼との交流が始まった。

  当時彼は県庁職員。岩手出身の父と北海道出身の母との間に札幌に生まれたのは、1937年7月10日のこと。2歳の時には一家で盛岡へ。下橋中、盛一、岩大、そして県庁へ。

  僕と知り合ってからは、陸前高田へ出張の度に当時のジョニーへ何度も来てくれた。しかも、来店の度にぞろぞろと人を連れて来たのです。聞けば「何、市役所で今夜俺をジョニーに連れて行ってくれと言うだけだよ」と言って笑うのでした。しかし会計はいつだって自分持ち。それは、2001年に盛岡へジョニーが移ってからも変わらなかった。

  退職後は、彼一流の愛を込めて言う「うちの使い古し」(奥様・茂子さん)と一緒に、いつもオシャレをし、手土産持参でやって来て、必ず「顕さんも飲め!」と僕がグラスを空けるのを待って僕と同じ量を、何杯でも同じペースで付き合ってくれるのです。しかもいつだってニコニコ酔い知らず。

  昭和40年に結ばれた6歳下の奥様茂子さんと知り合ったのは通勤電車の中だったらしい。だからなのか、退職後のお出掛けは、どこへ行くにも一緒なのだが、最近は英二から英爺へと名を変えたらしく、古いような新しいような名で白蘭が届いた。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)
 


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