盛岡タイムス Web News 2013年  2月  4日 (月)

       

■ 〈続われらの時代〉16 和井内和夫 わたしの自動車物語4

  ■鳴車(めいしゃ)

  「ブルーバードファンシーデラックス」の後軽四輪を含め10台以上の車を使ったが、忘れられない車に「いすゞベレット」がある。ただし、日本で最初にGT を名乗ったスポーティーなイメージとは似ても似つかぬ車であった。

  仙台に住んでいた当時のことであるが、いすゞ自動車のディーラーに勤める友人に、冗談半分に「何か珍しい℃ヤがあれば」と声をかけたら否応なく押しつけられた車である。エンジンはディーゼル1800CC、4ドアで後輪はベレット自慢の独立懸架ではなくリジットアクスルであった。わたしの想像であるが、当時タクシー向けの車がなかったいすゞが、間に合わせに出したものでないだろうか。しかし盛岡でも仙台でもタクシーとしてはついぞ見かけたことはない。

  年式は割合新しい(当時から2〜3年前か)のに、当時東北全体で実働車10台以下というから珍しいと言えば珍しいが、こちらの希望は単に実働車が少ない≠ニいうだけではないので、いやいやながら引き取ったが、これが結構よく働いてくれた。

  ディーゼルエンジンの前進3段コラムシフトはまことに使いづらく、エンジンのレスポンスとギャレシオの関係で、交差点レースでは軽四輪の後塵を拝し、電装が24ボルトなので、バッテリーあがりの時普通車では助けてもらえず、また当時ディーゼルエンジンは始動に余熱が必要であり、そのエンジンが重く、駆動方式がFRのため、前輪が泥や雪にはまり込むと抜け出すのに苦労するなど、いろいろな弱点があったが、当時は単身赴任をしていたので土日に長距離を走るわけで、燃費の良さというメリットを十分に生かすことができた。

  仙台・福島と通算六年間ほど愛用したが、トラブルはオーバーヒート(ウオーターポンプ回りからのエア吸い込みにより、注入口から冷却水が吹き出し、20`も走ると半空冷式≠ノなるという珍しい故障)があっただけで、タイヤがパンクしたこともなく「無事これ名馬」そのものであった。

  ただし残念なことにこの車は前出のブルーバードとは違い、当人(当車?)にとってはまことに不幸なアクシデントにより、悲運の最後≠遂げることになるのである。

  今は車の運転をやめたそうであるが、友人の一人に自称名ドライバーがいた。当時東北地方の道路で交通量ナンバーワンであった、仙台市内五ツ橋の駅前通り(旧国道4号)と連坊小路との交差点で、南の福島方面から北進して行き、右折禁止の標識を見落とし、切れ目なく走ってくる対向三車線の直進車の列を横切って右折し連坊小路に曲がったという、やれと言われてもできない離れ技をやってのけたという迷ドライバーである。

  この人が初冬の雪が降り始めた頃この車を借りに来たのである。

  後で考えると不覚でもありまた残念であったが、いつでも自分で冬タイヤに取り替えられるように、スノータイヤは別ホイールつきとしてあったので、それに取り替えて乗るようにと車につけて貸したのである。

  一週間ほどもして帰って来た車を見て驚いた。ホイールの取り付け穴は広がってガタガタ、ブレーキドラム側のホイール取り付け用ボルトはねじ曲がっている始末である。なんとタイヤを取り替える際、ホイールの裏表を反対に取り付けて走ったのである。

  ナットがしっかり締まらないわけで、振動が激しく音も出たはずであるし、またハンドルが取られるはずで、さぞや乗り心地が悪かったろうと思うが、呆れたことに当人は何も気づかなかったそうで、車に魂があるならばその無念さおして知るべしである。

  修理することも考え、またギアボックスを4段フロアシフトに取り替えれば、走り具合はまったく違うからと、格安のギアボックスを見つけてきてくれた人もあったが、傷んだ箇所≠ェ箇所≠ナあるので、安全を考え涙をのんで業者に引き取ってもらった。

  当時のディーゼルエンジンは振動がひどく、信号待ちで停車中の時は、センターミラーが振動して何が映っているかよく分からないぐらいであった。

  またエンジン音も大きく、その対策であろうボンネットの裏全面に厚さ3aくらいのスポンジの吸音材が張ってあった。珍奇な仕掛けであるがこれは気安め程度の効果しかなかったと思われる。

  この車は音が大きいので言ってみれば名車ならぬ鳴車≠ナあろう。


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