盛岡タイムス Web News 2013年  2月  9日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉301 岡澤敏男 賢治信仰のブラック・ボックス

 ■賢治信仰のブラック・ボックス

  「虔十公園林」は知恵遅れの不可避的な生の不幸を背負った虔十が、人からばかにされながらも七百本の杉苗を痩せた原っぱに植林し、子どもらの遊び場として評価される童話です。虔十はばかにされ、なにを言われようとも苦にせずに植林に打ち込んだが、成功を見ることなく病死してしまう。

  賢治はその虔十の存在をありのままの姿で肯定するため十力という神秘的な力を導入したので、山内修氏はこの肯定の仕方に、自力を重んずる聖道門(法華教)ではなく他力を重んずる浄土門(浄土経・真宗)の思想とみて、〈浄土経的な臭い〉をかぎとったのです。そして倫理の「下降過程の主人公は、他者や不可知の力によって評価されるのみ」と解釈し、倫理の「上昇過程」の主人公「よだかの星」の〈よだか〉と対比しました。

  たしかに〈よだか〉は「あゝ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのたゞ一つの僕がこんどは鷹に殺される」と弱肉強食の現実を悲嘆し、「僕はもう虫を食べないで餓え死なう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだらう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向ふに行ってしまはう」と思い立ち、太陽や星に祈りながら自己抹殺を実行するのです。

  このように〈よだか〉の倫理性には「自己の存在の罪悪性」への嫌悪から「天上への志向」を実行する「上昇過程」の思いが存在する。しかし〈よだか〉の自己犠牲には「銀河鉄道の夜」のジョバンニのように「ほんたうにみんなの幸せのためならば僕のからだなんか百ぺん灼かれてもかまはない」という「法華教」から得た共生倫理が認められないばかりでなく、「お日さん、お日さん。どうか私をあなたのところへ連れていって下さい。灼けて死んでもかまひません」と悲願する場面があるから、明らかに他力本願的な救済願望の思想がみられるわけです。

  したがって〈浄土教的な臭い〉は「下降過程」に限らず「上昇過程」においても現出されるから、「どのように倫理を上昇させようとも、作品は結果として、すべて作者賢治のけっして解決されない暗部を示すばかりである」と指摘する山内氏は、賢治の信仰上のブラック・ボックスを見据えているのかも知れない。賢治の内部に複合する法華教と真宗(浄土真宗)思想の共存など、たしかにブラック・ボックスなのでしょう。さらに「銀河鉄道の夜」にみられる〈十字架〉〈ハルレヤ〉〈バイブル〉〈カトリック風の尼さん〉〈賛美歌〉〈クリスマストリイ〉などの発想にはプロテスタンティズムとカトリシズムの複合がみられる。賢治が盛岡中学時代にキリスト教に関心を持ちタッピング牧師(プロテスタント)、ブジェー神父(カトリック)と交渉をもったことに契機があるのでしょう。しかしキリスト教徒は両派の文化を複合することはないという。これも賢治のブラック・ボックスなのかも知れない。

  小倉豐文氏は「賢治とその父政次郎の精神構造―特に宗教信仰は、私には二つの大きなブラック・ボックスである」(「二つのブラック・ボックス」洋々社『宮沢賢治』第2号)と述べている。特に真宗信仰から法華信仰への転機について綿密に資料を追跡してほぼ全容をつかみながらも「何が、いかにして、彼をそうさせたか。当時の賢治は私には全くブラック・ボックスである」と嘆息を漏らしているのです。確かに賢治の精神構造には「解決されない暗部」が存在するものらしい。

  ■童話『銀河鉄道の夜』七、北十字とプリオシン海岸 (抜粋)

 俄かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな、きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるやうな、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。
  「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかへって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の数珠をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈ってゐるのでした。(中略)
  そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。(以下略)



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