盛岡タイムス Web News 2013年  2月 16日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉302 岡澤敏男 賢治の幼年伝説

 ■賢治の幼年伝説

  賢治の信教におけるブラック・ボックスは確かに「けっして解決されない暗部」(山内修)なのかも知れない。この賢治のブラック・ボックスのナゾを解く手掛かりに、幼年時代の挿話のどこかに通底するカギのありそうな気配がするのです。とかく有名人になった後には些細な幼年伝説も小針棒大に脚色され誇張される例も多く、その信憑性の見極めはなかなかの難事とみられる。しかし賢治のブラック・ボックスの解明のためにはどんなつまらぬ挿話にも耳を貸してよいのではないでしょうか。賢治にまつわる幼年伝説には関登久也著『宮沢賢治物語』、佐藤隆房著『宮沢賢治』そして宮沢清六氏の「兄賢治の生涯」に多くの挿話が収録され、おおよそつぎの三つのジャンルに分けられるのでしょう。

  1 仏教に関する挿話
  2 小学校時代の挿話
  3 その他の挿話

 1 賢治が三歳のときに宮沢家で朝夕となえる正信偈=iしょうしんげ)白骨の御文章=iはっこつのおふみ)をききおぼえ、家人と共に正座して暗唱したという。父政次郎の姉ヤギが事情あって婚家先から帰った。ヤギは篤信家で賢治をかわいがり寝かせつけながら子守歌のように正信偈∞白骨の御文章≠きかせると、賢治がいつしか記憶して親鸞の『教行信証文類』末尾の偈頌「帰命無量寿如来 南無不可思議光/法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所/観見諸仏浄土因 国土人天至善悪」とよどみなく諳じ唱えたという。

  2 小学校時代の三つの挿話。

  @赤シャツ事件
  赤シャツを着て登校した子を級友たちが囲んで「メッカシ メッカシ」とはやしていじめていた。それをみた賢治は、その輪にとびこみ「おれも赤シャツ着てくるからな。いじめるならば、おれをいじめてくれ」とかばうと、みんなだまってしまった。

  A廊下に立たされた子の水を飲む
  いたずら生徒が廊下に立たされ、罰として両手に水を満たした茶碗をささげ持たせられていた。それを見た賢治は「ひどいだろう。たいへんだろう」と茶碗の水をごくごくみんな飲んでしまった。

  B傷ついた子の血と指を吸う
  みんなで道路でバッタ(メンコ)をして遊んでいた時のこと。バッタ、バッタとメンコをたたいているうちに、その一枚が飛び跳ね、それを追いかけ仲間の一人がのばした手に通りかかった荷馬車の車輪が轢いた。悲鳴をあげた子に賢治が駆け寄り、その傷ついた血の指を「いたかべ、いたかべ」と言いながら、夢中で吸ってやった。

  3 前生から持って生まれた旅僧

  幼い頃から兄は陽気に見えながら、実は何ともいえないないほど哀しいものをもっていた。父は「賢治には前生に永い間、諸国をたつた一人で巡礼して歩いた宿習があって、小さいときから大人になるまでどうしてもその癖がとれらかった」と話していた。兄は一緒に食事するときでさえ、何となく恥ずかしそうに、また恐縮した格好で、ものを噛むにもなるべく音をたてないようにした。前かがみにうつむいて歩く格好や、人より派手な服装をしようとしなかったなど、前生から持って生まれた旅僧のようなところがあった。

  ■小学校時代の挿話
    佐藤隆房著『宮沢賢治』より抜粋

 二年生の夏休みも過ぎ、気持ちのよい初秋となりました。賢治さんは学校帰りの午後を、友達の秀治君とつれだって…友達数人と遊びはじめました。下町と三社様の参道の十字路の西北の角に「ふかまど」という大きな馬車屋がありました。その前で皆々はバッタ(メンコのこと)遊びに夢中です。紺飛白に黒のメリンスの帯をしめ、小倉の袴をはいた賢治さんもいっしょになって「一枚出し、出し」一人の児の音頭につれて街路でバッタバッタやっている。そこへ後の方から急に荷馬車がやって来、メンコの一枚が荷馬車の轍の下なろうとしました。少年の一人秀治君がすばしこく駆け出して、そのメンコの一枚を手をのばした刹那、ゾリッと音がして無残や右の人差指の末節を関節から轢きとられた。秀治君は失心しかかり、傷ついた右の指は血をふいて、ポタポタと地に流れ落ちています。賢治さんは秀治君の傍に駆けよって「いたかべいたかべ」と言いながら、流れ落ちる血を、無我夢中でその傷ついた指に口をつけて吸ってやりました。


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