盛岡タイムス Web News 2013年  2月 25日 (月)

       

■  〈幸遊記〉112 照井顕 村田柴太のエーデルワイン

 33歳から28年と6カ月、大迫町(現・花巻市)の町長だった故村田柴太さんのことが今でも時折頭に浮かぶ。「どこから来ても峠を3つ越えなければ大迫に入れない盆地、炭焼きと馬とタバコを三種の神器で暮らしてた貧乏な町、そのへき地性を打ち破ろうというのが町長生活だった」そう僕に話してくれたのは21年前の1992年2月のことだった。

  今をときめくエーデルワインと早池峰神楽。その「神楽とワインの里・大迫」の礎を作った村田さん。民選初代の農民知事・国分謙吉氏(1878〜1958)が、村田家のブドウ畑を見たことから「あっ!ここは葡萄(ブドウ)もいいんだな。ボルドーに良く似た石灰質の古生層土壌だよ。これはいけるかも!」での県立葡萄試験地を、全国で一番早く手掛けた岩手県。その知事の先見の明に呼応した彼、柴太さんのパイオニア精神と相まって始まった。

  ブドウ農家との共存共栄を計りながらのエーデルワイン¢「り。コルク栓ではなく、スクリューキャップ、550_gの瓶。彼がドイツ語辞典を引いて書いた文字、ラベルには早池峰山とウスユキソウ、すべてが彼の手によるオリジナル。それはもう中身以前にいい味を出していたものでした。そういえばワインコロンも開発したっけ。

  「エーデルワイス」に似た「ハヤチネウスユキソウ」を兄弟花としてオーストリアのベルンドルフと姉妹提携を結んだ人。パーティーでも「うたの一つも出ないなら面白くもない」と、逃げ出すほど音楽が好きな人だった。

  神楽にしてもホイドカグラと称されてたものを町議時代から会員になり光を当て続けた結果、1976(昭和51)年国の重要無形文化財に指定されたのでした(2009年世界無形遺産登録)。「異文化まねて人さまにすすめるもんじゃないってことだよ。まず自分たちのものをたててから」。それが彼の信条だった。

  村田柴太1926(大正15)年2月21日・大迫生まれ。妻の泰子さんは1915年小牛田生まれ(盛岡裁判所の所長の娘)。昭和26年に見合いで結婚。「女房はほとんど連れて歩いたことがないもんな、俺は外で飲むべしで、嫁、嫁と言われながら祖母、母、叔母に囲まれて子育てしたのさ」が今も、僕の耳に残る。2001年僕の写心展をエスポワールいわてに観に来てくれたのが最後でした。   (開運橋のジョニー)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします