盛岡タイムス Web News 2013年  2月 27日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉160 三浦勲夫 暦の上

 「暦の上では」といえば「旧暦の上では」ということになる。2月(新暦)も明日で終わるが、きょうは旧暦ではまだ1月18日である。もうすぐひな祭りの(新暦)3月3日だが、その日は旧暦ではまだ1月22日である。それでは旧暦の3月3日はいつかというと、新暦4月12日に当たるから、話がややこしい。4月のその頃の気象、自然現象が「桃の節句」「ひな祭り」に当たり、暖地では桃の花が咲いていることになる。

  「春は名のみ」という場合、新暦の立春、つまり2月4日以後のことになるだろう。これも旧暦2月4日が昔の立春で、新暦に当てはめると3月15日に当たる。だから、新暦2月4日(旧暦12月23日)以後は「春」とはいっても旧暦ではまだまだ「立春」以前ということになり、確かに「春は名のみの風の寒さよ」といえる。

  その寒いころに早くも飾られるのが「お雛(ひな)様」である。生まれた女の子の健やかな成長と幸せな結婚を祈願する。この行事も、もとは季節の変わり目に行われた五節句の一つ「上巳(じょうし)の節句」であり、平安貴族が薬草を取って身に着いたけがれや邪気を清めた行事であったという。それが変化して、雛にけがれや邪気を移して川に流す「流し雛」となった。その後、雛段に雛を並べて鑑賞し、女児の無病息災を祈る形となった。その他の四つの節句と酒食は、正月7日(人日・じんじつ・七草粥)、5月5日(端午・たんご・ちまき、柏餅、菖蒲酒)、7月7日(七夕・しちせき、素麺)、9月9日(重陽・ちょうよう・菊酒)である。季節に応じた植物を飲食することで邪気を払う目的で行われた。

  旧暦が新暦に変わったのは明治6年1月1日である。新政府は明治5年の旧暦12月2日の翌日を新暦明治6年1月1日と変えた。それ以後、「暦の上では」という換算的な言い回しが発生したといえる。中国や韓国では2月中旬に行われる「春節」が1月1日の元日より盛大に祝われる。その点、日本では旧暦の正月は盛大ではないが、古来の節句などは新暦に読み替えて継続している。

  盛岡では3月3日はおろか、4月12日(旧暦の3月3日)でも桃の花は咲かない。南北に細長く延びる日本列島では、季節の到来に1カ月以上も差がある。春や夏は南に早く来て、秋や冬は北に早く来る。国内の季節の時差は非常に大きい。それに比べると一日の時差(東西差)は少なくて、事実、日本の一日の時間は一個の標準時間を中心にして統一されている。標準時間が四つも、五つもある大陸諸国とは決定的に違う点だ。

  北国の春はまだ遠い。新暦2月4日ではなく、新暦3月15日(旧暦2月4日)の方が立春と言われれば納得する。しかしその頃でも盛岡では梅も桜もまだ咲かない。東京あたりでは2月が梅の時期である。東京では「雪に耐え」とは言えないが寒風に耐え「梅花麗し」を思う。2月の盛岡では、梅も、桜も、桃も、じっと真冬日の寒冷に耐えている。忍耐のエネルギーが4月になってはじけたように一斉に開花を呼ぶ。真冬日に耐えてまず咲くのはネコヤナギ、マンサク、フクジュソウ、クロッカス、フキノトウである。モクレンもコブシも今は硬いつぼみを膨らませて、出番を待っている。古来の歌などには詠まれてこなかった花たちが、北国の人たちに春を待つエールを送っている。
   (岩手大学名誉教授)


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