盛岡タイムス Web News 2013年  3月 2日 (土)

       

■  〈三陸の津波〉49 向井田郁子 読み終えて1

 早いもので、あの忘れられない東日本大震災津波から丸2年を迎えた。一口に「2度目の冬」とは言うが、突然、不慮の災害に襲われ、「食うに食なく、着るに衣なく、住むに家なし」の状態に放り出された人々にとって簡単に「2度目の冬」など口にできる状態ではなかろう。

  それよりも、家族を挙げて長年、粒々辛苦して築き上げてきたものを一瞬の災害で一物も残さずに、守る手だてもなくさらわれてしまった被災地の人々にとっては、1〜2年で簡単にものが言えるほど生易しいものではない。残された喪失感は大きなものがあると思う。
  岩手、宮城、福島そして青森も含め、1万6千人超の死者・行方不明者を出した犠牲者の遺族にとっては、喪失感を振り切り、復興への新しい道を歩み出そうにも、その足取りさえも整わないうちに3月に犠牲者の3回忌がやって来る。年月は非情なものだ。

  どんなことがあっても、同じ悲劇は繰り返したくないという気持ちから、東北の地震・津波に関する歴史を読んでみると、それだけで足かけ3年が過ぎてしまったが、東北は地震・津波の常襲地域であること。それが東北の農漁村を特に貧しくしていることを知った。

  私の岩大時代の後輩で釜石地方の教育界で活躍した友人・故上飯坂哲氏が復刻に生涯を捧げた南閉伊郡(今の釜石地区)の海嘯記録も気が付いてみると、約18冊もあった記録をいつの間にか読み終えていた。

  2012年から13年までの1年がかりで読んだ記録は明治29年(1896)と昭和8年(1933)のものが主だったが、その間の読後感を思い返してみると、三陸の海辺を繰り返し襲った震災津波が地域に与えたダメージは今度の東日本大震災津波の場合と比べても変わらないことだった。

  記録集はいずれも、今の釜石地区に散在していた初等教育機関の尋常小学校の校長、教頭、教員が生徒を指導して震災の状況を取材させ、まとめ上げた。

  学生時代、上飯坂氏と同じ研究室で地理学を専攻した私にとって、記録の中身はそのまま地域の学校が果たした地域教育の伝統を記録する証しでもあったことに驚かされた。

  海嘯記録を読みながらその間、12年2月に岩手県小学校長会が発行した東日本大震災の記録集「未来を信じていま歩き始める」、同年3月に県中学校長会が発行した同記録集「明日を見て前を向いて」を読む機会があった。

  まだ子どもたちが部活や卒業、終業式の予行練習などで学校にいた午後2時46分に突然訪れた未曽有の震災に遭って、学校の先生たちがどういう対応をして、学区がどうなったかを細かく記録している。

  一読して感じたことは、想定外の災害に直面した学校の先生たちが真正面から現実に取り組み、子どもたちや地域を守る先兵となった、明治、昭和の津波の時の学校の取り組みが伝統となって脈々と受け継がれていることだった。

  発災と同時に停電となり、携帯も通じなくなるという「にっちもさっちもいかない」状態になったとき、沿岸の小中学校長先生たちは市町教委との連絡に、児童生徒の安否確認に、ガソリンの足りないマイカーで奔走したという。

  明治、昭和の大津波の際には、校長先生は高台にある学校に駆け上り、校庭にまきをたいてかがり火をともし、村人の避難誘導をした上、暖房して臨時救護所とし、避難してくる村人に対応したという。

  被災を免れた小中学校も、2、3カ月間は授業もできない状況だったが、この間、学校側も児童、生徒たちも地域の被災者たちの救援に協力して動き、地域のために大きく貢献していたし、地域の協働体の一環として復興の役にも立っている。


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