盛岡タイムス Web News 2013年  3月11日 (月)

       

■  〈幸遊記〉114 照井顕 菅野信夫の音楽船

 先日、音楽の友だった村上軍記さんの三回忌に陸前高田の光照寺(高澤公省住職)へ、軍記さんと共通の音楽の友・陸前高田の菅野信夫さんと一緒に行ってきた。3・11の津波で逝った軍記さんの三回忌を知らせるメールが彼の息子さんで埼玉に住む聡さんから届いたからだったが、僕たちの顔を見て驚いたのは軍記さんの奥様・順子さん。でも聡さんが撮ってくれた写真では3人とも顔がほころんでいた。

  その菅野信夫さんは、僕が平泉から陸前高田に行った頃だから、もう50年にもなる最も古い音楽で結ばれた親友である。歳も同じ65歳。血液型も僕と同じAB。違いといえば、僕は二度結婚したが、彼は今も独身。彼の妹で故人となった愛子さんは、青春時代に「高田わかもの会」なる団体で一緒に活動、明治百年を記念し、20歳前後の僕たちが、おじいさんたちおばあさんたちに、昔の時代劇(チャンバラ)を見せようと「松平朝之助劇団」を呼んで、昔あった映画館「セントラル劇場」を借りて主催した記憶も、まるできのうのことのようによみがえってくるが、止まれ!

  菅野信夫さんは出会った時から、今なお船大工一筋に働いてきた人。彼は兄や妹たちの影響で音楽が好きになり、働き始めてすぐポータブルプレイヤーを買い、間もなく足付きのアンサンブル、セパレーツ、そしてコンポとグレードアップし、スピーカーも30aウーハーを使った、独自のデザインによる立派なボックスを作り、聴いていた彼だったが、自宅もろとも津波に持ち去られ、現在は仮設住宅住まい。そのため、唯一の楽しみである音楽を普通の音で鳴らせない住宅事情も、僕だったらと思うと悲しくなる。

  中卒後、気仙沼の浦島造船所、木戸浦造船、大船渡のFRP造船と、時代とともに進化しながら船大工仕事は、図面を原寸に起こすことから始めるのだという。

  そういえば彼の父、故・良平氏も船大工。三井造船で働き、労組を立ち上げた人。リストラで社員が首を切られる時、自分だけ社に残るわけにはいかないと、辞めたいさぎのよい人だった。慰留させようとした会社も、良平氏が辞めた後、丸3年彼のために年金をかけ続けていたのだったという。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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